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エヴァンゲリオン 〜 待ち遠しいシン・エヴァですが、新作で碇シンジくんは大人になれるのか?

新世紀エヴァンゲリオン

©khara, inc.

そろそろエヴァやるでしょ?

もう過去の作品になりつつあるエヴァンゲリオンシリーズですが、庵野秀明監督とスタジオカラーは、最終章ということで、エヴァンゲリオンの完結版のリリースを予定しています。それを見越してか、しばしばいろんな商品やサービスとコラボレーションをしてたりしますよね。何だかんだ忘れることのないのがエヴァンゲリオンです。

旧作劇場版をやったのはもう何年も前ですが、当時物議を醸したものです。考察サイトや考察本が乱立して、なにがどうなっているのかと、様々に解説がなされました。

エヴァが衒学的って話なのはもう定番だよね

「エヴァは中身がなく考察をしかけるように作られた衒学的なコンテンツ」である、というのが定説です。多くの人がわりとそう思っているかと思います。

何故衒学的につくったのかというと──これはもう単純な話で、当時のガイナックスはオタク集団なので、人類とはなんぞや?ということに正しい興味を持っている人が存在しなかった。そのため、多くが過去のモチーフの思想や技法の再解釈による引用と、その組み合わせになっているんです。一方で、アニメーションスキルはとんでもなく高かったことから、エポックメイキングなほどにハイクオリティのものが提供された。だから、中身がない=思想がなくても「なにか考えがあって」作っているんじゃないか? と考察されて、大いに盛り上がったという話ですね。ただ、これはもう庵野秀明監督、本人も言っていたことなんですけど「意味や思想って無きゃだめなんですかね?(そんなもん考えてね〜よ)」という話です。まあそれでも凄いので問題ありませんけどね!

しかし、思想がないと困ることもあります。というか困るキャラがいます。碇シンジくんです。

監督が技法に走って成長させてもらえない碇シンジくん

シンジくんは、旧作のときも首絞めて、良くわからないほんのちょっとのアスカへの歩み寄りで終了しました。そして、新作ですが──こっちも展開こそ違えど、昔のシンジくんのままだったりします。というか監督はシンジくんにあまり興味がないですよね。監督が興味をもっているのは、電柱とか電線とか爆発のモーションとかそういうところなんです(マジで昔からそうみたいです)。だから、技法の進化は凄まじく、エヴァの最新作には常に心地よいダイナミズムやカタストロフがあるんですが、シンジくんはそこを右往左往するばかりで成長させてもらえません。これは、要するに監督が人ではなくてモノや技法に興味を向けているからです。

基本的にキャラクターというのは、製作者の思想やメンタルと表裏だったりします。周囲のスタッフ曰く、庵野秀明監督のキャラクターを最もよく表しているのは、ナディアとアスカだそうです(笑)つまりは、才能をたてにしてわがままに暴れるイキリキャラです。シンジくんが監督の影ではないんですよね。そして、本人が成長をしないので、ナディアはアスカへと変わっただけで、エヴァに出演し、シンジくんは単なるアイコンのままなんです。それでもまあ、庵野監督、安野モヨコさんと結婚したことで、ちょっとは変わったと思ったんですよ。破のラスト──あれは結婚した結果として、愛に目覚めてシンジくん綾波に手を伸ばした。

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しかし、Qでまたもとのシンジくんにもどっちゃっいました。あー、こりゃいよいよ、庵野監督は技法に走って、シンジくんをほったらかすんだな〜、と思いました。

監督は成長し、物語は答えを変える

さて、シンジくんが庵野秀明に成長させてもらえないことの何が悪いのか──いや別にいいんですけどね、普通ね監督っていうのは年とともに変化するから、それがキャラや物語の展開に影響するはずなんです。

たとえば富野由悠季は、ガンダムをやって、Zガンダムで挫折して、νガンダムでいちおうの決着をつけた。アムロはちゃんと大人にさせてもらえたんですよね。死んだけど。さらには、カミーユについても、旧作のプッツンENDではなく、新作では敵を倒してファと添い遂げるというハッピーエンドにたどり着いている。あれは、富野由悠季の、まあ過去における世の中への強烈な不信からくる殺伐とした皆殺しの思想を経て、人類愛への到達を意味していると思うんですよね。その人類愛はターンAにも見事に現れています。

©創通・サンライズ

だから、本来、結婚した庵野秀明だって、何がしかの答えを持った結果として碇シンジくんが動き始めてもおかしくないんです。しかし、Qではそれがなかった。やっぱりシンジくんのままだった。これには、多くの人がびっくりしたんじゃないかと思います。

Qのもどかしさ

Qには映像的な目新しさや迫力がありました。しかし、それは過去にくらべてアニメーションの技術力や技法が進化したというだけであり、思想的な普遍性や提案をしているわけではなかった。旧作エヴァは「技法に最大限に走りました!」というだけで、当時は価値があった。それが提言になっていた。けれど、新作ではもうその手はどうやっても使えない。それなのに、二番煎じめいたQを出してきてしまった。成長していないシンジくんのままだった。綾波もシュリンクしちゃったしね。

やっぱりね、視聴者が期待するのは、シリーズを通しての人物の変化であり成長なんですよ。彼が、どういう大人になるのか? その答えを示す責任が、監督にはあると思うんですよね。

かつて、シンジくんだったキレる10代なんて呼ばれた世代は、いま結構いい歳です。子供だっている人もいるでしょう。そして今、昔のシンジくんを見ても、若いなあ、まだ世間をしらないなあ、とかしか思わないんですよね。そこに何の発見も驚きもない。見せなきゃいけないのは、オタクの庵野監督じゃなくて、大人の庵野監督なんですよ。しかし、庵野監督がそれをしなければ、シンジくんもずっと子供のままなんです。そして、その懸念は、Qをみたかぎりでは、もしかしたら大人にならないこともありうる。そうなったらちょっと悲しいなと思っています。

次は庵野秀明の評価が決まる作品だと思っている

もし、エヴァの完結編でシンジくんの成長がなければ、庵野監督の評価は、技法をつきつめたオタク監督というだけで終わってしまいます。べつにそれでも凄いことではあるんですけど──庵野監督が思想をみせるかどうか、それは大いに注目すべきところで、エヴァ以降の監督作にも影響する話だとおもっています。

ちょっと話がかわりますけど、宮崎駿の後継者はだれか、という話が一つあります。この話は、いい出したら際限な話ですね。思いつくのは、新海誠、細田守、片渕須直、宮崎吾朗、そして庵野秀明です。まあ、どの人も直系の後継者という訳ではないですし、そもそも後継者たりえるかどうかもわかりません。しかし、後継者は必要だとも思っています。

なぜかと言うと──宮崎駿というのは、日本人の倫理観なり精神性なり正義感なりの一部分を、確実にその時代においてアニメーションを通して僕らに植え付けてきた人だと思うんですよ。そして、それはかなりの責任感をもって鈴木敏夫と一緒に行なわれていた。

で、そんな状況のなかでジブリはぼぼ解散していますが、実は、かつてナウシカ2をとりたいという提言が庵野監督からジブリサイドに打診されたことがあった。宮崎駿は結局これをしりぞけているんですけど、やっぱり、倫理や思想が青臭いオタクの庵野監督に任せるのは難しいと思うんですよね。

でも風立ちぬを終えたあたりから、宮崎駿は庵野監督にナウシカ2やらせてもいいのかな、なんてことを鈴木敏夫さんにいったのだそうです。

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しかし、思想がないまま技法の人である庵野監督が、ナウシカをやると──絵的にには凄いことになると思いますが、テーマ性はたぶん宮崎監督の焼き直しになると思うんですよね。そしてたぶん、その中には巨神兵=エヴァ的なものも入れてくる気がしている。それはもうナウシカ旧作への冒涜になる気がしている。あまりそういうのはよろしくないんじゃないかと思える。

ですがもし、最終作のエヴァでシンジくんが成長していれば、庵野監督の思想が見えれば、それはもしかしたらナウシカ2にチャレンジする庵野秀明を見てみたいと思えるのかもしれない。

監督は思想を持って神話になる

国民的監督というのは、日本人の思想を担う役割を背負います。ジブリはそれをやってのけてアニメーションの神話になった。で──庵野秀明がそういうものを望んでいるかどうかは別として、そこにはクリエイターとしての一つの境目があるんじゃないかと思っています。せっかくだから、そういう境地にたどり着いた、庵野秀明監督も見てみたいなって思います。

いずれにしても、何であるにせよ、シンジくんは早く大人にしてあげてほしいですね。そうして、はじめて少年と監督は神話になるんじゃないかな、と。

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