東京卍會は関東連合?史実と照らし合わせて劇中不良少年たちの歴史考証&徹底解説。

東京卍リベンジャーズ
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今回は東京卍リベンジャーズに登場する、気になるチーム「東京卍會」のモデルであろう関東連合と東京卍リベンジャーズの設定考証についてのお話です。

劇中において最も輝けるチーム「東京卍會」のモデルは何か? そもそも東京卍リベンジャーズの設定はどこまで正しいのか? そのあたりを徹底考察します。

タケミッチらの世代からみる時代考証

まず、そもそもの劇中についてのお話。

東京卍リベンジャーズにおける、東京卍會や暴走族といった存在が史実をどこまで反映しているのかについて、お話します。

主人公のタケミチらの世代は平成2年〜平成3年に生まれた世代と呼ばれていますね。彼らは劇中では中学二年生〜三年生で年齢は十五歳〜十六歳。劇中の年代は、2005年前後ですね。

物語の2005年頃は、東京卍會をはじめ多くの暴走族が活動していましたが、では実際にはどうなのでしょうか?

警視庁の資料によると暴走族の構成員数の推移のピークは1970〜80年なんですね。暴走族がいちばん元気だったのは、劇中世界の30年以上前になります。それからタケミッチ等が生まれた1990年頃を堺にして、急激にその数を減らしています。つまり暴走族自体は、実際の歴史では2005年頃にはもう完全に時代遅れのものとなっていました。

理由はいくつかあるんですが、大きくは道路交通法の改正の影響があります。それから県の条例の施行などもあります。暴力団新法の施行も遠巻きに影響していると思われます。

面白いのが、暴走族の人数自体はタケミッチ等が生まれた平成前半に、最盛期の半分に減っているんですが、チーム数についていうと、実は2002年〜03年あたりになって最盛期80年代よりも倍以上に増えているんですよね。

https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/66/nfm/n66_2_2_2_2_3.html

つまり、やる人は減ったが、そのスタイルを好んで追い求めた人というのは2002年代前半にはまだいて、彼らは個別に小規模な暴走族のチームを作っていた、ということです。

これは、ぎりぎり東京卍會の存在にリアリティを与えていますね。

では実際には、劇中のようは状況──たとえば血なまぐさい抗争等はあったのでしょうか?

史実における不良カルチャーの変遷

大規模な抗争というのはやはり70〜80年代です。

有名なのは、東京・神奈川の暴走族、計600人が衝突した鎌倉の「七里ヶ浜事件」、そして、極悪とCRS連合という暴走族が衝突した「大井ふ頭事件」などがあります。

しかし七里ヶ浜事件は1975年、大井ふ頭事件は77年です。数百人単位でマイキーらが抗争する83抗争や血のハロウィンは、時代的には30年以上も後なんですよね。史実の2つに匹敵するような、大きな暴走族の抗争というのは、2000年代には起きていません。

つまりそこは完全にフィクションだということです。

では東京卍會の作られた2000年代前半において、暴走族というのは具体的には、どうなっていたのでしょうか?

暴走族自体は、諸々の法整備によって表立った活動はなくなっていきます。そして、前後する形でチーマーというのが勃興してきます。さらにチーマーからカラーギャングに繋がります。彼らはバイクや暴走ではなく、ファッションやカルチャーを軸に発展していきます。これが1990年代〜2000代前半までにおける、目立った不良カルチャーです。渋谷や六本木においては暴走族よりもチーマーやカラーギャングのほうが目立っていたと思います。

暴走族⇒チーマー⇒ギャングというカルチャーの変化があったのです。

彼らと暴走族との大きな違いは地域性です。暴走族は各地域の地元に根ざした形で勃興しました。一方チーマーやカラーギャングは、土地ではなくファッションやカルチャースタイルをもって、地域を横断してグループを作っていました。その為土地への執着が希薄でした。

そして、暴走族はその間完全に消えていたのかと言えば──実はそんなことはなくて、彼らは質を変えて残りづつけていました。暴走族は土地に根ざしていたの残っていたんですね。

この暴走族とチーマーの関係は、時代とともに変化していくことになります。

関東連合と東京卍會

東京卍會というチームを見ていった時に、不良少年史について少し知識がある人は、やはり関東連合をイメージすると思います。そもそも、物語後半のマイキーは自身の集まりを関東卍會と名乗っていますしね。

それはチーム名の雰囲気もそうですし、数多のチームを統合して肥大化していった、という暴走族マンガあるあるの展開も、似たイメージを膨らませます。

チーマーやギャングという存在が目立っていた時期にあっても、関東連合というのは存在しつづけていたといいます。

では、関東連合とはどういうチームでしょうか?

一般人でも関東連合という名前を聞いたことがある人がいると思います。

有名なのは悪いニュースのほうですよね。某歌舞伎役者に関わる暴力事件や、クラブ襲撃事件で、名前を見たことがあると思います。これらの騒動の背後には関東連合という存在がいた、とニュースなどで報道されていました。

一方で関東連合というのは最も有名な暴走族グループとしても名前が知られています。実は関東連合というのは、今と昔ではその質がだいぶ違っていたのだといいます。かつての関東連合というのは、まさにイメージどおりの暴走族として、関東一円のチームが統合して作られた、日本最大の暴走族でした。

それが、各種暴走族対策法が施行されたことにより地下に潜り、そして世代が変わったことで、質を変えます。

彼らはバイクで暴走するのではなく、六本木や渋谷を中心としたサブカルチャー界隈に進出し、飲食やイベント、カルチャー自体に関わりつつ、パーティー券ビジネスやAVビジネスをすることで経済力を身に着けて発展して行くんです。暴走族グループはファッションやスタイルではなく、ビジネスへと変化していくんですね。

興味深いのは、その途上で、一度暴走族と入れ替わってメインカルチャーとなったチーマーやカラーギャングらを、暴走族側が再度駆逐していることです。

これは三茶抗争として一部の人に知られています。この抗争は東京卍リベンジャーズのような大規模抗争ではなくて、暴走族側がチーマーを事あるごとに襲撃することで発生した事件でした。

何が起きたのかというと、土地に根ざした暴走族グループが、土地を横断してカルチャーでつながっているチーマーやカラーギャングといったグループを目障りなものとして、自分たちの土地から追い出したんですね。結局これはチーマーやカラーギャング文化の衰退という形で決着しました。

その裏にあるのは、もちろん暴走族の自分たちのテリトリーに対するこだわりもありますが、一方で都市部におけるアングラ経済活動の主導権をだれがとるのか? という点も大きく関係していました。これは、先に述べた暴走族の活動が暴走行為から経済活動へと変化したことがその根底にあります。

現在では関東連合やそれに類する多くのグループは、かつての暴走族と違って、経済活動をその活動の軸に置いて、完全に地下にもぐってしまっています。それらは、いわゆる半グレという存在の誕生につながっていきます。その実態は未だに警察でもつかめないといいます。このあたりも10年後の東京卍會、あるいは別の未来に存在している関東卍會と似たものを感じさせます。

綺咲が操る東京卍會もマイキーがドロップアウトして作った関東卍會も、それぞれが関東連合に重なる

史実の関東連合や周辺を見ていくと、その有り様は、綺咲哲太にあやつられて準暴力団的へと変遷した東京卍會、あるいは東京卍會を捨てて、関東卍會へと変化したマイキーのグループに重なる部分が大いにあります。

かつての、ロマンある暴走族集団から、大人の集まる半グレ集団へと、東京卍會は変遷していますが、まさにそれは、関東連合がたどった歴史を想起させるものがありますね。

原作者は、新宿スワンにおいては、自身のキャッチとしての実体験を踏まえてマンガを描いていました。そこにはある種のリアリティがあり、それが新宿スワンがヒットした理由でしょう。

そして、これらの関東連合と東京卍會、あるいは関東卍會を比較してみると、東京卍リベンジャーズにおいても、関東連合とその周辺の暴走族&不良カルチャーをしっかりとインプットした上で、マンガを描いていることが伝わってきます。

そういった部分が、東京卍リベンジャーズにある種のロマンとリアリティをあたえ、人気作へと後押しをしているのでしょうね。

さて──

タケミチは、劇中で半グレ化した東京卍會とそのメンバーを救おうと奮闘していましたが、もしかしたらリアル世界でも、誰かがループして関東連合を救おうとしているかもしれませんね。

以上、東京卍會と不良少年史、そして関東連合についての、ごく簡単な解説でした。

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