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シン・エヴァンゲリオン感想〜庵野秀明は24年ごしに素晴らしいオチをつけてきた?

新世紀エヴァンゲリオン

シン・エヴァンゲリオンを見てきました。

劇中の謎考察は、考察好きな方々に任せるとして、シン・エヴァンゲリオンを見て感じた、作品の意義と庵野監督についてあれこれ感想&雑感まじえつつ、解説したいと思います。

※作品ネタバレあるので、シン・エヴァンゲリオン劇場版:||未視聴の方はご注意ください。

24年ごしにオチがついたエヴァが「おもしろい」

まず映画の大まかな感想。

エヴァといえば、巨大ロボであり、メカであり、カタストロフィであり、ダイナミズムです。そして、さすが日本における時代の最先端を行く映像作家。アクションやメカの映像はとんでもないですね。今回も、見事なまでに、エヴァが暴れ狂い、破壊し、街が、世界が吹っ飛んでいました。

画面内を縦横無尽に動き回る、エヴァシリーズと、一喜一憂するパイロットやクルーたち。拠点は第3新東京市のネルフ中枢からヴンダーへと移りましたが、そこには旧作のエヴァンゲリオンと変わらない、楽しさがありました。

加えて、序破Qでは割愛されていた、24年前の旧作おなじみの内面描写も久々に登場していて、ああ、エヴァってこんなんだったよね、と思い起こさせてくれました。

そして、何よりも──作品にオチがついていました。旧作のエヴァンゲリオンというのは、当時の庵野秀明がのたうち回ってひねり出した作品だったんですが、諸事情あって濁したまま終わり、オチが付いていませんでした。

そのオチの最も大切なところは、碇シンジが劇中における様々な事柄をどう消化して成長するのか=「シンジくんは大人になるのか?」という点にあります。碇シンジは旧作及び序破Qまでは、ずっと何も選ばず、解決せず、大人になれなかった。それは本人がなりたいとかという話ではなくて、庵野秀明という監督が、碇シンジを大人のメンタルにする、ということをずっと避けていた(あるいは思い至らなかった?)。

©khara, inc.

それが、24年越しにクリアされました。

旧作から序破Qまでの雑感は、こちらに公開のだいぶ前に書いたとおりです。

監督がエヴァを終わらせるためには、絶対に碇シンジが大人になる必要があった。

もしシンジくんが大人にならなかったら私は監督をサイコパス認定するつもりでしたが、そうはならなかった。

あー、ちゃんとオチつけてきた。ちゃんとエヴァを終わらせた。ちゃんと碇シンジを大人にしてあげた。この点について、シン・エヴァンゲリオンは素晴らしい作品になったと思っています。

──さて、その上で、だからこそ色々と気になる点が出てきちゃいましたよね、シン・エヴァンゲリオン。

そもそもエヴァってどういう作品だっけ?

さて、ここで旧作について簡単に解説してみたいと思います。お話ではなくて、作品の有り様や社会的な位置について、あれはどういう作品だったのか?

旧作のエヴァで、よく言われているのは「衒学的」な作品ですよね。

すなわち、劇中に多くの謎を散りばめて、それを考察させることで注目させるという、機能を持ったSFアニメーションであったと。別に、意図してそうした訳ではないんでしょうけど、結果としてそうなっていた。

なぜ、そんなことになったのかと言うと、これは以前の記事にも書いていますが、庵野秀明という監督はものを作る時に、思想をベースにするのではなく、技法や設定をベースにする人だからです(※ここでいう思想というのは簡単に言えば「人はどうあるべきか?」というクリエイターからの提言とでもいいましょうか)。

庵野秀明という監督は、旧作においては、ただただ自身が幼少時から見てきた特撮やアニメや映画をリファインしたアニメーションをやりたいだけに過ぎなかった。本人自身もインタビューで言ってたようですが「思想」とか必要ですかね? というくらいでした。

庵野監督が描きたいのは、人物のドラマや物の考え方、価値観の提言等よりも、とにかく、エヴァの立ち振舞とか、街が破壊される様子とか、荷電粒子砲が発射される様子とか、メカの発進シークェンスとか、アスカの乳とか、綾波の尻とかが見せたいたいだけの人だった。

©khara, inc.

ただ、アニメ作品である以上、そこにはお話を作る必要があったから、人類補完計画と碇ゲンドウとエヴァ、チルドレンたち、そしてゼーレその他諸々の設定を作り上げて、ドラマっぽい物を用意して物語を進めることにした。オチをあんまり決めずに。

その結果──思想がない=提言すべき事が何もないので、オチが決められられなくなってしまった。TV番及び旧作劇場番のように、客観的によく考えてみると良くわからない物語になった。

しかし同時に、凝り性にして技法と設定の天才である庵野秀明は、過去に見た特撮や技法をアニメーションに取り込んで、ガイナックスの他の天才たちを仕切って、ものすごい映像表現を作り上げてきた。世間からみると、それは今までにない凄まじい映像だった。

ここに「ねじれ」が発生します。

当時、みんな勘違いするんですよね──あれだけのすさまじい映像表現にたどり着いた監督だから、きっと、とんでもない思想をもってオチを用意しているはずに違いない!と。

しかし実際には、エヴァ的映像表現というのは、庵野監督が自力でたどり着いたのではなくて、ベースとしては過去実写の焼き直しをガイナックスの珠玉のクリエーター達の力で、アニメと言う形でやっていただけです。客観的にみれば、庵野監督がインスパイアされたもの新たな表現した、というのがまさにぴったりのものです。

しかし、それが過去の様々な作品郡が霞むくらいの、とんでもないクオリティだったため、世間はエヴァをショッキングに受け入れ、我らオタクたちはオラが時代が来たと狂気し、喧々諤々の考察をしちゃったんです。

©カラー/EVA製作委員会

これが、エヴァと庵野秀明が背負った呪縛であり、エヴァが「衒学的」になってしまった理由です。

庵野秀明と碇シンジはこれに決着を付ける必要があった。いや、別に決着つけなくてもいいんですけどね、旧作は旧作ですばらしく面白いので。ただ、次回作用に金を積まれてしまったので、庵野秀明監督は、またエヴァンゲリオンをやる羽目になってしまった。

そして今回が、リベンジという訳ではありませんけど、その一連のエヴァシリーズに対する庵野監督の答えですよね。νガンダムみたいなもんですよ。

幸いにして、ちゃんとオチを付けてきました。さらにいうと、そこには初めて、アニメ技法と設定のヲタクで何の思想も提言も持たない庵野秀明の思想らしきものがあった、と。

庵野秀明が初めて見せた「チープ」で「つまらない」しかし「普遍的」で「まったくもって正しい」思想

庵野秀明がオチを付けるために、シン・エヴァンゲリオンで初めて見せてきた思想ですが──これが蓋を開けてみたら、極めて一般的で普通の思想でした。

すなわち──

「お母さん」は子供の事を考えている。
「お父さん」はよくわからんけど、アレで結構苦労している。
「家族」ってなんだかんだ大事だよね。
「家庭」を持つことも大事だよね。
「思春期」って色々あるよね。でも過ぎるものだよね。
「生きる」って大変だけど尊いよね。
「昔好きだった人」も、時が過ぎればいい思い出だよね(みやむーの事かな?)。

以上、庵野監督の思想だいたい終わり。

これらは、極めて正しい、僕らの知っている範囲の倫理的な考え方ですよね。とっても普通のものの考え方でもって、普通に物語を終えてきた。素晴らしい。一方でアレだけ引っ張っておいて、これはどうなの? とも思ったことは事実です。

ネタバレ的な話でいいますと、碇ユイがシンジを救うのは良いです。ゲンドウの人類補完計画の乗っ取りが、極めて個人的な理由であることも、まあいいです(ゲンドウのモノローグはちょっと長かった&予想通りの動機すぎて笑いましたけど)。

ただ、思想的には、それらを踏まえてさらに上に行ってほしかった。漫画版の風の谷のナウシカでは、宮崎駿は、ナウシカに全てを破壊させて、滅びの道を歩ませている。そこには、人類なんて滅んだっていい、という思想があった。アキラは、あれは人類補完計画に似た部分で、アキラとその子どもたちは心を通わせつつ、高次の世界へといざなわれていった。金田は人として生きる道を選んだ。そこにニューエイジ的なものを踏まえて現在と未来の対比を描いてみせた。あるいは押井守なんかは、もう完全に意味不明なまでに思想の人になってますよね(アニメなんだけどなんかのプチ哲学書ですか、みたいな)。そして、それぞれの監督の根底にある思想は濃ゆかった。

©1988マッシュルーム/アキラ製作委員会

しかし、シン・エヴァンゲリオンが提示したのは、そういうものに対する可能性を感じさせるものではなくて「オタク的な内向的キャラクターの成長」「日常への回帰」を提示するものだった。

そこに目新しさは無かった。

庵野監督、案外マトモだったな、という肩透かし感はありました。まあ、庵野秀明という人は学生運動世代でもないですし、哲学しないのは、しょうがないんですけどね。変化としては、破もそうでしたが、監督が結婚したことの影響がありありと現れていますよね。

真希波マリはようするに安野モヨコですよね。かつての想い人たるみやむー=アスカはうっちゃられて、母性的な立場のレイも文字通り母性にめざめる形でシュリンクしてしまった(個人的にはレイの扱いちょっとしょっぱくね?とは思いました)。

それらひっくるめて「過ぎたもの」として、オチとしては「新たな日常へと戻る物語」にした。というか、方向性としては、細田守や新海誠と同じレールにのっけてきちゃった。

©khara, inc.

というか、正しい物語構造でいえば、このオチにするのに、新作も4部もいらなかったりしますよね。このオチなら、2時間で終わります(個人的には4部見れて嬉しいんですけど)。

劇中におけるシンジくんの大人への転換点は、同劇中における綾波からの好意の発露と彼女の消失ですよね。これは結構物語表現としては定石です。別記事でもよく書いていますが「少年は取り返しの付かないことを経験して大人になる」を、そのまま表しています。ガンダムでいえば、アムロならララァの死であり、カイならミハルの死です。

でも、碇シンジが取り返しのないことをして大人になりそうな瞬間って、劇中の過去にもいっぱいありましたよね。それに対して、ずっと庵野秀明という監督それを表現しなかった。ほんとうに「技法」と「設定」だけで、良くひっぱったなー24年も、改めて、凄まじい呪縛背負ってたな〜、という感想を懐きました。

©khara, inc.

確かに、終わらせるならこのオチしかないよな、とも思いますけど、結局このオチかぁ、というさみしい印象もある。悪いオチではないですけど。普遍的でまったく正しいオチなんですけど、その向こう側も見たかったというのも、なくはない、というのが正直な感想でした。

でも、大好きだし、すごい作品ですけどね(心中複雑)。

──さて、呪いとも言うべきエヴァにオチをつけた庵野秀明監督ですが、今後ちょっと気になります。私は過去記事で、シン・エヴァンゲリオンの結末をもって、庵野秀明の監督としての価値が決まるといいました。

それはどうなるでしょうか?

庵野秀明の新たなる船出となった?

個人的には、SFメカアニメーションクリエーターとしては世界一のセンスと才能を持つ庵野秀明ですが、思想をもつアーティストとしては、はじめてここでようやく、エヴァの呪いから解き放たれて、スタートラインに立ったのだと思っています。

すなわち、ようやく宮崎駿クラスの国民的映画を作ることを許されそうな立ち位置に来たんじゃないかな、と。国民的映画監督がやるべき事というのは、面白い作品づくりはもちろんですが「社会におけるものの考え方の創造や提言」が含まれています。

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最近の日本人の多くの人たちは、その根底にジブリ的少年少女の善悪の価値観を持っていると思っています。若い世代の思想の根底には確実にジブリ的価値観がある。それを作ってきたのは、宮崎駿です。

これを引き継ぐ役目をもったアニメーション監督が、宮崎駿の後継者になるという訳です。

今でいうと、新海誠、細田守がいます。そこに思想を持った庵野秀明も並ぶ。ちなみに片渕須直は、高畑勲の後継者かも、なんて思ってますけど。

今回のシン・エヴァンゲリオンで「普遍的」な「大切」を提示した庵野秀明は、次回作以降に、ナウシカ2をやる、という選択肢も、ひょっとしたら入ってくるんじゃないかな、と思っています。そういう、思想的提言を持った、次回作を期待したいと思うのです。──といいながら、次のシン・ウルトラマンは、たぶんリハビリを兼ねて、技法バリバリで行く気がしてますけど。

いずれにせよ、今回のシン・エヴァンゲリオンは、劇中世界はともかく、思想的には考察の余地も少ない、とっても普遍的なお話になっていました。しかし、だからこそ、飛び抜けた技法をもつ庵野秀明には新たな未来の作品に、期待感が膨らむのです。

最後に勝手に監督にお礼

最後に、20年以上の長きに渡って「少年の神話」で私達を楽しませてくれた庵野監督には心から感謝しています。また同時代に生まれたことの喜びもこの上ないものがありますよね。監督本当にありがとうございました。

©カラー/EVA製作委員会

どうか健康に気遣って、引き続きまたすさまじい作品を作って欲しいなって思います。以上で、新作シン・エヴァの雑感を終わります。

長々とお読みいただき、ありがとうございました。