今回は、ぼっちざろっくについての解説です。
同時期に放映された作品には、様々な注目アニメがありますが、それらの裏でよくできてるなと思って追いかけているのがぼっちざろっくなのです。
何が良いのか?何が面白いのか?
そのあたりについて解説していきます。
漫画とアニメはちょっと違うぼっちざろっく
まず簡単に作品概要から説明したいと思います。
ぼっちざろっくは、芳文社のまんがタイムきららMAXで連載中の、はまじあき先生による日本の4コマ漫画ですね。
略称は「ぼざろ」。キャッチコピーは「陰キャならロックをやれ!」だそうです。そしてこちらの作品、次にくるマンガ大賞2019・コミックス部門で8位にランクインした作品でもあります。
内容は、ご存知のとおり女子高生ガールズバンドものです。
いわゆるけいおん的な作品ですね。ですが、名作「けいおん」が学校に軸足を置くスタイルだったことに対して、こちらはライブハウスを軸にしています。
お話は、ざっくりいえば「ギターが得意だけど陰キャぼっちの主人公後藤ひとりが、バンドとギターと音楽とぼっち活動を通して、成長してゆく物語」ですね。
そしてこの作品は、アニメと原作漫画では微妙に違う立て付けになっています。
漫画版とアニメ版のお話の展開は、概ね同じようなものです。けれどアニメ版においては細部の描写がかなり広げられた作品となっています。
そもそも漫画版はきららですから、4コマ漫画がベースなんですよね。そのまま作ってしまうと、ショートアニメになってしまいます。それを三十分1話のアニメにするために、つなげて広げて引き伸ばしているのです。
かつて、けいおんがそうであったように、こちらの漫画も4コマ漫画から奥行きのある演出がなされた作品に変わっています。それによって、もともとの漫画が持っていた魅力が、より際立ったものとなっているのです。
原作の秀逸なところ
ちなみに、個人的に思う同作の魅力的なところは何かというと──とにもかくにも主人公後藤ひとりのぼっち描写がよく出来ていることですね。
同作のぼっち描写は、ほんとうに丁寧に作られています。
この作品でぼっちは──陰キャな引きこもりが思い描き体現するが、社会に対する懸念、リアクション、習性等をみごとに再現しているのです。これが普通の作品だと、陰キャ引きこもりは、漫画的な有り体のキャラテンプレ表現に逃げるんですけど、この作品は「おやくそく」に逃げず、もう一歩踏み込んだぼっち描写をしています。
後藤ひとりは、コミュ障であることを徹底していて、初手では必ず他者から逃げ回ります。
ポジティブな機会であってもひたすらネガティブな想像をし、ぼっち特有の気持ちと行動のちぐはぐさでもって空回りしてみせるのです。
ぼっちならではの、瞬間的に最適解を導き出す行動が一切できない、みごとなまでに痛々しい立ち振舞をしているのです。
作品上ではそれらをコミカルにみせているんですが、実はぼっち描写としては、一部視聴者の胸が苦しくなるくらい、とても解像度が高くリアルです。
この作品の一番のストロングポイントは、後藤ひとりのぼっち描写であり、彼女の繰り出すぼっちリアリティーが、第一に作品に説得力と魅力を与えていると思っています。
で、それがアニメ化されたことでどうなったかと言うと──
アニメ版の解像度があがる瞬間がヤバい
何度も言うように、ぼっちざろっくの原作漫画はきららです。
作品は4コマ漫画であり、テンポよく読み進められるものになっています。しかしこれが30分アニメになると、4コマ漫画のように一定のペースではすすめませんから、演出によって物語に緩急がつけられることになります。それによって漫画の展開がさらにドラマチックになります。
原作では、ひとりのぼっち描写は、だいたい4コマの途中やオチで一瞬表現されて過ぎ去ります。
しかし、アニメ版では、そこを丁寧に描くことで、ながされがちな描写に魂が込められ、より魅力的なものに変わるのです。
結果として作品のある場面、ある描写の解像度がキュッと上がるんですね。
その瞬間がヤバいのです。
ハッっとさせてくれます。
胸が苦しくなります。
この効果は、主人公ひとり以外にも適応されます。
作品の解像度があがる瞬間というのは、きらら的なゆるふわ作画と一見かちあいそうなんですが、同作ではいっしゅう回って、秀逸な表現につながっています。
クリエイティビティーの高いアニメ
丁寧な描写にすることで魅力をあげるというのは──けいおんでもやっていましたね。しかし、けいおんは京アニですから、全編通してそれなりに作画にエネルギーを費やせました。あのアニメは、スキルフルなスタッフを惜しみなく使える京アニならではのものでした。しかし、ぼっちざろっくはそういう、けいおん的な作画エネルギーを全力で投入した作品ではありません。
でも魅力的です。
実は、このぼっちざろっくは、きらら漫画的なポップな作画シーンと、踏み込んで解像度をあげるシーンとで、描写を使い分けているのです。
ベースはきららのポップさがある。
一方、重要な場面で解像度をあげてくる。
それによって、物語においてクローズアップされた場面が、際立って心に残るんです。
原作もそういう描写が一部ありましたが、アニメ版はそれをさらにいろいろな場所で行い、使い分けているのです。これは、クリエイティブとして秀逸ですよ。
同時期の野心作と比べたら、明らかにかけられたコスト的に劣っている状況のなかで、よく考えて作ってるなと思うのです。
原作漫画の素行の良さもあって、ほんとうに、アニメ制作陣の愛とアイディアとぼっち経験が満ち溢れた作品になっていると思います。
こういう作品は視聴者に力を与える
いい作品というのは人にいろいろな力を与えます。
で、ぼっちざろっくは見る人に力を与えるエネルギーを持っています。この作品は、物語の分類でいうと「シンデレラストーリー」にあたるんですけど、その題材にぼっちというモチーフを選んだことで、現実社会における陰キャチャレンジ指南的な側面もあったりします。
人はだれしも、ぼっちとして生まれでて、おっかなびっくり世の中に触れるわけですが、この作品は、まず第一にその歩みだしの怖さを描いています。さらに、踏み出すことで得られるインセンティブも丁寧に提示しています。そのぼっち描写には、おそらくぼっちを体験したことがある原作者およびアニメ制作陣の経験が反映されており、非常に解像度が高く作られています。
それによってポップで漫画的でありながらも、瞬間的にはそんじょそこらの作品とは違う、現代的でリアリティーのあるメッセージをもっているのです。
同作は、後藤ひとりを通して陰キャチャレンジャーの一喜一憂を、実感をともなって目撃できるように作られています。
劇中におけるひとりの歩みは、ちぐはぐさからくるおかしみと、予想外のところから転がり出る感動をともなって、視聴者にポジティブな力を与えるものになっていると思うのです。
そういう作品がぼっちざろっくなんです。
以上、ぼっちざろっくの「推し解説」でした。