君たちはどう生きるか:レビュー〜作品に込められた願いと呪い〜それは分かりやすくて、分からない

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宮崎駿作品「君たちはどう生きるか」のレビューをしていきたいと思います。

同作の解説は色々な方がやってますね。

おもしろいのか?つまらないのか?といった話は、他の記事等でさんざんやられていますし、こまかな設定考察やモチーフの話はそちらにおまかせするとして、この動画では、監督やスタジオ・ジブリも含めた、同作の意味や意義についての考察をしたいと思います。

おもしろいつまらない以前に、監督がよくわからないと言う作品

まず初めに話したいのは、この君たちはどう生きるかと言う作品は、何が「わけがわからないのか?」というお話です。

同作は、作品がわからないという人が多数いらっしゃいます。また監督自身も試写会インタビューで、自分でもよくわからない、といい切っています。実際視聴すると、スッと入ってくる部分と、ハテナの飛び交う部分がありました。

ちなみにお話の大枠は、そんなに難しいものではありません。

詳細は割愛しますが、「悩みを抱えた主人公が、訳あって異世界に行くことになり、そして目的を達成し成長し、戻ってくる」というお話です。

いわゆる異世界モノ、類型でいえば異郷訪問譚といったところでしょうか?

構成としては、ジブリ作品でいえば千と千尋と同じものですね。その展開自体はそう難解ではありません。

しかし同時に、分かりづらいとの意見が出てきます。それはなぜでしょう?この映画をいくつかの要素に分解すると、何がわかりづらいのかが確認できます。映画の構成要素というのは例えば次のように分解することができます。

  1. まず本筋:大枠のストーリーラインです。今回は悩める男子が異世界に行って目的を達成し成長して戻ってくる、というのが本筋ですね。
  2. それからクリエイティブ:作品を伝える描写や作画、音楽、声優、演技といったものです。これは言葉通り、表現のパートを構成するものです。
  3. さらに思想やメッセージ:これは物語に込められた作者のメッセージや価値観です。
  4. 最後に設定:本筋を形作る、劇中内のあらゆる要素についての設定です。人物や世界、物品、ルール等、世界観を形づくるための個別の設定です。

映画を、これら4つに分解すると、この中でどの部分が分かりづらいか見えてきます。

本筋は、先に述べた通り明快ですね、悩める男子が異界に行って成長して戻ってくる話です。ここにわかりづらさはありません。

続いてクリエイティブです。クリエイティブも明快かつクオリティーの高いものです。たとえばキャラの顔がちがっていたり、似てる人が居てわかりづらいとか、音楽が作品に合っていないとか、そういうチグハクはありませんよね。

そして思想やメッセージ。メッセージについては、同作はわりと明快だと思います。おそらく「分かる」と言っている人は、この思想に込められたメッセージに反応しているのだとおもいます。この話は後ほど述べたいと思います。

では、最後に、設定はどうか?

ここに、わかりづらさがあるような気がしています。そして、思うに宮崎駿がわけがわからないといったのは、この設定の部分が大きいと思っています。

君たちはどう生きるか、のわからないところ

物語というのは、どんな作品でもかならず本筋があり、そして本筋を支えているのが設定になります。
で、同作は、設定が分かりづらいのです。

本筋は明快なんですが、それらを支える周辺要素の「なぜそうなっているのか?」という解説が、とっても希薄なんですね。

なぜアオサギがあのような変身をするのか?なぜふしぎな隕石から館ができたのか?なぜ館と隕石の勘違いをしたのか?なぜ老婆がたくさんいる中でキリコさんだけがあっちのせかいにもいたのか?なぜヒミは炎の女神なのに、母は焼け死んだのか?なぜ鳥がモチーフなのか?

本筋を支える設定まわりに、いろいろな「なぜ?」があるのですが、その殆どが劇中で解説されないまま、お話が終わります。

これが気になって仕方がないのです。こういうものが、わかりづらさの原因なのです。もちろんそのいくつかには裏設定がちゃんとあると思いますし、いろいろと考察の仕様もあるかとおもいます。

ですが──どうも他のジブリ作品にくらべると、あえてあまり細かく考えてないようにも思えます。

アニメ上における、整合性のとれない設定を嫌うジブリ

元々、多くのジブリ作品というのは、どんなにファンタジーな世界であってもそれを紐解いていくと「なぜそうなっているのか?」がちゃんと説明されて作られている作品となっています。

ジブリの設定のお話は鈴木敏夫さんや考察好きのファンからしばしばネタバラシされますが、たとえばトトロの存在理由も、ラピュタが滅んだ理由も、湯屋の存在理由も、かぐや姫が堕ちて帰る理由も、魔女が飛べなくなる理由も、たぬきが化ける仕組みも、ハウルの城のラストのりんごの旗にも、かなり細かくちゃんとした理屈が用意されていますよね。

これはジブリにかつていたアニメ監督高畑勲の影響が強くでたものです。

高畑勲はフィクションの作品を作るにあたって、アニメ画面内のものはすべてなぜそうなっているのか説明できなければいけない、という考えを持っている人でした。

これはジブリ作品の根っこの一つでもあります。

たとえば高畑勲は、主人公が高所から飛び降りて着地するが怪我一つ負わずに走り出すという描写を嫌っていました。

それは説明のつかない能力であり、重力というリアリティを損なわせるものなのでNGなんですね。

一方で宮崎駿はアクションでものを考えますから、そういうのが大好きなんです。ですが、高畑勲の影響を受けた宮崎駿は、未来少年コナンにおいて、着地時にしぶしぶ痛がる描写を追加しています。これが宮崎駿が導き出したギリギリのリアリティーの妥協点なんですね。

高畑勲の影響を強く受けた宮崎駿は、多くの作品でそれに従い、画面内のすべての物品や事象に裏設定を用意し、リアリティをもって説明がつくように作っていました。

そしてそれはジブリのファンタジーがリアルさを持っている理由の一つでもありました。しかし、同作「君たちはどう生きるか」はそういう部分ですら希薄であると感じられます。

なぜ設定が分からない作品になっているのか?

君たちはどう生きるか、はどうみても細部の出来事の説明が不足したままお話が終わってしまいました。

こういう「分からない世界」というのは完全なファンタジーならまだ許されるんですが、現代が舞台に絡んでくると、より不可解さが際立ちます。

同作は、舞台の半分が戦中の日本であり、リアリティをもっています。ですから、視聴者は無意識に理屈を求めてしまうというのもあると思います。その結果、「わかる」部分より「わからない」部分がより際立ったとも思えます。

では、宮崎駿はなぜ設定上の「わからない部分」を無視しているかのような作りにしたのでしょうか?

それは、2つあるような気がしています。

一つ目は、高畑勲的なアニメリアリティーからの、脱却を図ったからではないかと思っています。

そもそも宮崎駿作品は、千と千尋あたりから、わからないと言われてきていました。そしてその傾向はポニョあたりでいっそう加速します。これは高畑勲的リアリティーをちゃんと追求するよりも、わからなくても面白い方がいい、という宮崎監督自身の主張なような気がするんですよね。

宮崎駿の「面白さ」というのがどこからくるのかというと、一つはイメージの具現化能力であると思っています。そしてそのイマジネーションは、絵のかけない高畑勲にはないものです。例えばポニョの津波や、千と千尋の湯屋の建付けは、なぜそういう創りになっているか?という観点よりもイメージの心地よさを優先して作っています。

津波は、誇張された自然現象を飛び越えて、完全にファンタジーなものとなっていました。湯屋は建築的な物理法則も空間も歪んでいますが、だからこその圧倒的な存在感がありました。そのイマジネーションは、高畑勲的リアリティーとは相反していますが、それらはすばらしく楽しいものであり、宮崎駿のアニメーション作画の真骨頂でした。

そしてもう一つ目の理由は、同作が内包している、作品自体の目的との兼ね合いの話です。今作は、見る人によっては本筋とは別に、非常に強いメッセージを感じる作品だと思います。作品の目的の一つはメッセージの伝達にあるとすら思っています。

そして、監督は設定を作り込まなくても、同作がこのメッセージの発信という目的を果たせると考えたから、設定側のめんどうくさい理屈を時間的にもつめることをしなかったように思えるんですよね。

つまり同作は、「高畑勲的リアリティーからの積極的な脱却」「時短のために余計な作り込みをしなかった」結果、設定部分の構想と解説をすっとばしたように思えるんですよね。

おそらくその結果として監督は「わからない部分があると思いますが、そこ考えていないので自分もわからないです」と言ったのだと想うのです。その代わり、明確に分かる部分に注力しそれを全力でぶつけてきたのです。

わかりやすい次の世代へのメッセージと描写

お話の細部はよくわかりませんが、一方でこの作品は明確に意図が感じ取れる部分が数多くあります。この作品で、本筋とは別に最も顕著に現れているのは監督のメッセージですよね。

この作品には、大叔父と呼ばれる老いた賢者が一人出てきます。彼は、自分がもう死ぬ旨を主人公につたえ、役目を引き継いで世界を形作ってくれ、というメッセージを送ります。これは、まさにそのまま、監督から次世代へのメッセージとして機能していますね。

とくにクリエイターは涙した人も多かったようです。このあたりの遺書めいた創りについては色んな人が言及しています。

で、さらにもう一つの本筋以外で明快なものがあります。

この物語は、どうも監督自身のお話であるようにも見えるということです。主人公の眞人は、金持ちの子で、空襲で母をなくし、軍需工場の社長をしている父親とともに疎開します。現実の宮崎駿監督も、空襲と疎開を経験しており、そして、裕福な家庭であったといわれています。母を失ったことで、母への憧憬が強いですが、実際の宮崎駿にも、病弱で入退院を繰り返す母がいました。

それはトトロやポニョほかのモチーフとしてよく登場していましたね。

さらに、アオサギですが、彼は初期相容れない存在として登場していますが、物語の最終盤で、眞人が友と呼んでいました。

これは、ピュアな宮崎駿に対して、金儲けの話をもちかけた、鈴木敏夫や、思想を植え付けた、高畑勲らといった、苦手ながらも手をとりあわなければいけない社会的な仲間の存在を示唆させます。

また作中に登場する鳥人間たちは、宮崎駿のやりたいことを阻害し足をひっぱる、多くの人々や、大衆そのものにも思えました。これらは宮崎駿の人生そのものを意識させました。

さらに物語展開においても、宮崎駿の美学や価値観が随所に込められています。

主人公は、書物に涙し、入るなといわれた未知の世界へ好奇心で飛び込み、想いびととすれ違い、大いなる石の力に翻弄されます。劇中で、主人公が自傷しますが、あれはイキリアーティストの中二病的な振る舞いによくあるものです。

あれは思春期を抜ける際の、入れ墨やピアッシングといった、成人の儀式のためのイニシエーションを想起させます。ジブリではしばしばイニシエーションに際して少女が初潮を迎えますが、少年の場合は傷を負うことで成長します。また傷はしばしば暴走のきっかけになります。これも、さんざん描かれてきたモチーフで、これらは宮崎駿自身になぞらえて、人が変わることの価値観を示しているようにおもえるのです。

さらに、宮崎駿は、先に死んだ若かりし頃の母親と自身を異界で再会させ、母親に「あなたを産んだことはすばらしく、寿命に悔いはない」と言わしめました。

これは、選んで手にした人生も、選べずに失った、なんなら失敗した人生の双方がすばらしいものであると、肯定しているようにも思えます。

それらをひっくるめた、同作の目まぐるしい物語展開は、モチーフこそファンタジーな設定となっておりますが、全体としてみると行動や過去作に似た場面もふくめて「おれは人生をこう感じて、このようにリアクションをとってきた。そして世界をこのように感じた」というように、宮崎駿監督自身が主張しているように受け取れるものでした。

そして大叔父から眞人を介して、宮崎駿の意思が皆に引き継がれるのです。

「次は君たちの番だ。さて、君たちはどう世界をつくるんだい?」

と。

そうしてみていくと、この映画の役割が明確に見えてきますね。

作品のわかりやすい役目

この映画には、監督自身が人生で見聞きしたもの、感じたこと、そして価値観を、同作のストーリーラインに乗せて提示し、さらには世界の引き継ぎまでしてみせる意図がこめられていました。

同作への参加者も興味深いものがあります。

ベテランに加えて、今の日本のカルチャーシーンへの影響力が大きい若手の抜擢が多いことです。

山時聡真
木村拓哉
菅田将暉
あいみょん
柴咲コウ
滝沢カレン
そして米津玄師

米津玄師はジブリファンで、古い詩篇にも通じていて、鈴木敏夫や宮崎駿からも作品の普遍性がとても評価されている若手です。彼らを登用することで宮崎駿は直接、社会的影響力のある次世代にメッセージを送ったようにも思えます。宮崎駿は、次世代の担い手に、役割や価値観が引き継がれることを臨んでいるんですね。

それがこの映画と、宮崎駿がやったことの意味になっていると考えられます。だから、細部の設定がよく分からなくてもいいんですね。

そして、ただ視聴者が作品から引き継ぐことがあると感じたならば、その人が宮崎駿から何かを引き継げばいいんです。そういう作品なんですね、この映画は。

だから人によっては「分からない作品」であり、一方で「分かる作品」になっているんですね。これが、君たちがどう生きるか、という作品のわかり易すぎる意義ですね。

まったく監督はとんでもないものを残してくれましたね。

さて、最後にもう一つ、監督が込めたメッセージから転じて、一つ、ずっと気になっていることがあるので、今回は、それを紹介して終わりにしたいと思います。

その引き継がれる思いというのは──監督の願いであると同時に、実は、日本人への、呪いにあたるものかもしれない、というお話です。

ジブリ映画に隠された影響力

少し怖い話をしたいと思います。

ジブリ映画というのは、日本に様々な影響を与えた作品郡ですよね。ではその影響とは、一体何でしょうか?

ジブリ作品は、アニメーションや映画、創作に対してのクリエイティブ面での影響は多大なるものですが、一方でスタジオジブリというのは、実は、明確に社会的影響を考えて作品を創り続けてきたスタジオでもありました。

それは、社会や人のあり方、人の生き方についての考えに対する強い影響力をもったものです。
これを一般的な言葉でひとくくりにすると、「倫理」といいます。

鈴木敏夫はかつてインタビューにおいて、ジブリ映画は社会的には何をやっているのかと問いかけられたとき、明確に「倫理」をやっている、と答えています。

倫理をやっているジブリ

倫理とはどういうことか?

倫理というのは、人が共同体として活動をする際に設定すべきルールや価値観ですよね。

で、ジブリ作品というのは徹底して、正義や勧善懲悪、やさしさ、思いやり、自然のしくみとそこで生きる人のありかた、社会のあるべき形、コミュニティーのありかた、コミュニケーションのありかた、そして人情や人道を描いてきています。

そして、日本における60年代以降の世代というのは、メディアの発達により価値基準が非常に均一になってきた世代なんですが、そんななかでも、ジブリ映画というのは、その影響力のすさまじさから、特定世代の日本人の倫理基準に大きな影響を与えていることが考えられるのです。

特定世代以下の、日本人の若年層は、誤差はあるにせよ、概ね素直である、良い子である、正義感が強い、なんて言われることがあるかと思いますが、ここにジブリの影響を感じざるを得ないのです。

彼らの中における善悪の判断が、ジブリ的な物を基準として、それに従うこと、イコール社会的本流であり、それに従わないこと、イコール反社会的行為になっているんです。

じゃあジブリ以前はどうだったかというと、たとえば任侠モノの映画、あるいは洋画、そして時代劇といったものは、日本人の倫理観に影響を与えています。

しかしメディアに接触し、ジブリを見てきた人たちほど統一されたものではありません。

ジブリがなかった時代の人たちの振る舞いというのは、かなり地域性がありますし雑多であり、また素朴で泥臭い価値観を持っています。

ですが40歳から50歳以下の人たちは、それを受け入れるか受け入れないか、自身がそのとおりにするかどうかは別として、圧倒的に倫理基準が統一されているのです。そういう部分においてジブリの影響というのは、あなどれないものであると考えられるのです。

ジブリが倫理的である理由

なぜジブリがそんな事をしたのかというと──実は宮崎駿も高畑勲も、そして鈴木敏夫も学生運動や全共闘の影響を受けた、活動家世代でもあることが関係しています。

60年代あたりの市民活動、学生活動は、戦後経済成長における反動として国家に対して行われたものです。その趣旨や意味はいろいろあるのですが、平たくいってしまうと基本的にジブリの主要なメンバーは、そういった「お上に物申す」という気質を根本に抱えた人たちでした。

で、その学生運動や全共闘というのは、日本では活動家による暴力事件などもあったことから庶民とリンクせず、挫折しシュリンクすることになりますが、──このときドロップアウトした多くの人材がその挫折感を抱えたまま「あるべき良い社会とはなんぞや?」という思いを持って、各々の業界へと進んでゆくのです。

あるものは、マスコミやメディアに進み、あるものは教育会へ進み、あるものは政財界へ進み、それぞれいろいろな影響力を行使していますが──一方で宮崎駿、高畑勲、そして鈴木敏夫らは、アニメ業界へめぐりめぐって身を勧めることになりました。

そこで彼らは、生涯を通して、良い世界&健やかなる世界とはどういうものか?という疑問をいだきつづけ、時代時代その時々で提言すべきことを子供向けに発信しつづけたんですね。

それぞれの業界と影響力を比較したときに、結果として最も影響力の強かったものは何かと考えてみてください。

左右思想が雑多なマスコミ、あるいは地域差や個人差、温度感に違いのある属人的な教育界、そういったものよりも、よりインパクトのある統一した影響力をもったものはなんでしょうか?

どう考えてもアニメーションですよね。

鈴木敏夫や宮崎駿や高畑勲は、いつからかビジネスをとびこえたところにあるアニメーションの社会的影響力に自覚的になっています。これは、高畑勲が思想家めいたところがあり、鈴木敏夫が雑誌編集者あがりだったということも噛み合ってはじまった活動だと思います。

おそらく、魔女の宅急便が成功したあたりからだとおもいますが、スタジオジブリは、いつからか日本人に対してエンタメアニメーションを通して倫理の啓蒙活動をする会社になっていったのです。

君たちはどう生きるか?の裏に込められたもの

そして宮崎駿と鈴木敏夫は、倫理の集大成として最後に「君たちはどう生きるか?」という映画を、次世代にぶつけてきました。

同作は「俺たちは、自分たちが信じた良い世界を作るための倫理観を君たちに与える生き方をした」「では君たちはどう生きるか?どう倫理を作るのか?」という問いかけにもなっているんですね。

これによって影響をうけた多くのクリエイターは、ジブリ的なものをめざすでしょうし、多くの一般人も、この作品を集大成として、ジブリ的作品の影響下で、健やかなる世界をつくらなければいけないのかもしれない、という倫理的縛りを受けるかもしれません。

それは端的にいって、ジブリの願いが転じた呪いともいうべきものです。

ジブリというのはそういう影響を社会に与えていた存在なんですね。

果たして日本人は、ジブリのかけた倫理の呪いに従うのか?抗うのか?またそういった統一した倫理観は日本人が営みをするなかで、吉とでるのか凶となるのか?

この「君たちはどう生きるか」という映画は、倫理の縛りが裏に隠れており、それがジブリのモノづくりなんだな、と改めて感じさせてくれる作品だと思いました。

以上、同作とジブリの解説でした。

動画版

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