小林さんちのメイドラゴンS〜京アニ事件後放送された同作に込められたメッセージ

小林さんちのメイドラゴン
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今回は小林さんちのメイドラゴンについての短いお話。

夏アニメとして既に終わってしまった作品ではありますが、その作品が発信したメッセージのもう少し深い所に、この作品の凄みを感じたので、それについて解説します。

日常系異類婚姻譚の新機軸

さて、小林さんちのメイドラゴンとはどういうお話でしょうか?

物語のパターンでいえば、異世界からやってきたキャラクターが現世界の主人公と繰り広げる日常系ドラマですよね。平たく言えばドラえもんです。またもう一つの側面として、トールは押しかけ女房ですからうる星やつらでもあります。

こういう、日常系のファンタジーというのは、日本では昔から沢山ありましたよね。

ですが、そういった物語と一つ違う点があるのがこの「小林さんちのメイドラゴン」を特徴づけたものでもあります。

それは──小林さんが学生や子供ではなく、それなりのステータスと財力をもった社会人だということです。

小林さんは保護者として、非常に大人びた判断や助言をトールやカンナたちにしてみせます。もちろん、その過程で小林さんも悩むのですが、彼女が大人として存在し、ある種の倫理的な「諭し」を自らがやってのけるという点は、非常に新しいものがありました。

この小林さんという嫌味のないキャラクターと、天真爛漫なトールやカンナたちの振る舞いは、見ていて清々しく、視聴者に大きな好感を与えていました。

メイドラゴンの一期から二期にかけて登場キャラクターたちは、一分の隙きもない、ハズレのない物語を提供していました。

それだけでも凄いのですが、実は今回のS(二期)は、ひとつ一期以上に挑戦的な試みをしていたと思います。

それは物語の締めくくり方について。

日常系アニメではあり得ない「ヤバい11話〜12話」

小林さんちのメイドラゴンSの締めくくりというと、最終回後半の花見花嫁追いかけっ子──ではなくてですね、注目したいのはその一つ前「第11話 プレミアムシート(特別料金はかかりません)」から「第12話生生流転(でも立ち止まるのもありですかね)」の前半〜お祭りまでに描かれた内容です。

その回では、はじめてトールの行動動機や内面が描かれ、それらに対してのトールと小林さんの繊細な心情が描かれていました。

それ自体は別に物語構成上珍しいことではありませんが──注目したいのは、その11話から12話にかけて、二人は「通常のファンタジーでは描かれない夢の向こう側」に踏み込もうとしたことです。

普通、こういう日常系のファンタジーというのは「物語の終わり」を濁すものなんです。ドラえもんは結末を描いていません。うる星やつらは、終わりなき日常を繰り返す形に落ち着いています。また他の数多の日常系ファンタジーも「これからも一緒に生活していきましょうね」くらいで終えるのです。「キャラクターたちの関係がどういう終わり方をするのか?」という点については、はまず描かれません。匂わせることすらしません。まさに「終わりなき日常(つづく)」というのが、多くの日常系物語が選ぶ結末のハッピーな形です。

しかし、メイドラゴンの11話〜12話においては、小林さんとトールは「二人の生活の終着」をはっきりと匂わせていたと思います。

トールは、幼少時代からの紆余曲折があって元の世界を捨て、自ら選んで「その結末がどうなろうとも」小林さんと一緒にいることを選んでいることが示唆されていました。一方の小林さんは、悠久の時を生きるトールを前にして「やがて老いて朽ちるであろう自身」を、トールの父親に指摘されるまでもなく自覚していました。それは「重い話」として定義され、その上で、互いの重い部分をどう捉えて日常を進めて行くのか、二人はそれぞれ思い悩んでいました。

二人の向かう先にあるのは、小林さんの死であり、永遠の別れなのです。つまり第11話〜12話前半は「二人には終わりなき日常」というものが存在しないと言明しているのです。この手の日常ファンタジーアニメで「二人はいつか終わる」という「重い事実」を匂わせる物語というのは、後にも先にも見たことがありません。

メイドラゴンSは、劇中の軽妙なキャラクターの上に、人物の生と死をちゃんと提示しています。これは一期の結末では、まったく描かれていませんでした。そしてSの最終12話の後半「花見と花嫁」でも濁されて、メイドラゴンはまた「終わりなき日常の物語」へと回帰しています。

ですが、それらを真っ向から否定するように異物のように11話と12話前半が存在しています。

なぜでしょう?

なぜ11話〜12話にそんな重い話が?

このメイドラゴンを──というか11話〜12話を創ったのは京アニですよね。そして京アニといえば──ふと気づくのです。

もしかしたら──メイドラゴンSの11話から12話前半というのは、あの事件で失った人たちへの想いが影響しているのかもしれません。

京アニは、あの事件で多くのスタッフを失っているんですよね。輝けるアニメーション製作の現場において、多くの人達が夢をいっぱい抱いて仕事をしていたのです。しかし、それが突然失われた経験があります。「終わりなき日常」が終わった「重い経験」をしているんです。

トールと小林さんが互いの関係を深堀りする11話〜12話って、さらっと流されましたけど、個人的には人の生死とか、リアルな生と死の香りがぷんぷんするんです。

それを作ったのが京アニで、あの事件があって、いろいろと考えていくと──感じるのは、ようするに「どんな幸せな日々にも終わりがある」ということを日常系アニメの上に残酷に提示してみせたのだろうということです。加えて「だからこそ大切なものは輝く」という。ある意味当たり前の大切な、でもめちゃくちゃ残酷なことをアニメ言っている気がするのです。

小林さんちのメイドラゴンSは、あの11話〜12話は見事なまでに重い話が込められていました。ですが、それによって、他のすべての日常回やキャラクターも際立ってとんでもなくキラキラ輝くように思えます。

そういう大切なものを京アニはメイドラゴンSを通して伝えようとしたのだと思えるのです。

以上、小林さんちのメイドラゴンSに思う個人的な感想でした。