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シグルリ感想:え、リゼロ作者って女子に厳しくできない人? 優しすぎる作り手が作品に与える影響〜戦翼のシグルドリーヴァ

戦翼のシグルドリーヴァ
©戦翼倶楽部/909整備補給隊

戦翼のシグルドリーヴァの前半が一通り終わりました。これから物語は中盤にさしかかりますね。

ここまでの展開で概ね、世界観や設定、キャラクターというのを理解できたと思います。なんというか、兎にも角にも女の子がかわいい。とてもかわいい。すばらしく生き生きとしている。どいつもこいつも女神ですよ。当たり前ですよね、ワルキューレは戦女神なんだから。

そういえば同じ原作者のリゼロの女性キャラクターも、すごく魅力的でかわいかった。敵の女の子ですらかわいい。エルザさんですら。

で、シグルドリーヴァを見ていて思うのは、ああこの 長月達平先生という作家は本当に魅力的に女の子を描ける人なんだな、ということ。あらゆる女の子キャラクターの魅力が理想化されているんですよね。

それは、視聴者やファンにしてみれば、素晴らしく見ていて楽しいんですが、同時にある種の物語において、デメリットになることもあるかも知れない、なんてことを思いました。

その理由がシグルドリーヴァ前半の、主に三話で露呈していると感じました。

アニメの第三話に求められる構成上の役割

アニメーションの第三話というと、作品のシリーズ構成内における「起承転結」の承の1番目になります。こっから、作品全体の事件がはじまるんだゾ!という作品からの宣言が行われます。

この話はまどマギの頃から言われてはじめましたよね。所謂、第三話でマミさんがマミったアレですね。だいたい3話をきっかけにして、作品全体がドコへ向かっているのか、どんな特徴をもっているのかを提示するのが、昨今の風潮です。

© Magica Quartet / Aniplex ・ Madoka Partners ・ MBS

そして、シグルドリーヴァも第三話で「それらしき事」をやっていますね。前半三話までのあるミッションのせいで、再起不能となってしまった一般兵士と主要なキャラクターが相対し、その痛みと責任を噛みしめる、なんて描写があります。

ああ、これがこの作品における色の付け方なのかな? なんて思いました。しかし──それ、第三話の定番の「ぶちかまし」にしては、物足りなくありません? というか貴重な三話でなぜ日常回を?

意図していることは、構造上よく分かるんですけどリゼロでスバルくんをぬっ殺しまくった原作者の発想とは思えません。何その優しい展開。女の子たちは直接的な苦しみを味わっておらず、苦しんでいるのは、名もなき兵士(スバル君ポジション)だけじゃないですか。しかもその兵士、一瞬しか映っていないから、シナリオ構造上の思い入れを抱く仕込みも不十分で、何の共感も抱けないっていう(ここらへんには小説家さんの映像シナリオの不慣れさが出ていると思いますが、それはまた別の話)。

リゼロを創った人であるにも関わらず(※リゼロのシリーズ構成は別の人がやってますけどね)、なぜこんなにも弱い第三話になってしまったのでしょうか? アニメモノのシリーズ構成経験がないとか、映像シナリオの執筆経験がないとか、そういう影響も無くはないとは思いますが──見ていて思ったのは、作者のとある傾向が、影響しているんじゃないかってことです。

女の子に優しい長月達平先生

先生、ひょっとして女の子に「救いのない苦しみ」を与える展開が出来ない人なんじゃないでしょうか?

リゼロでもレムやエミリアが多少なりとも苦しむ描写はありますが──それは、スバル君=作者の不屈の精神によって、毎回必ず救い出されています。実は、リゼロって、不幸を背負い苦痛を味わうのは常にスバル君であり、女の子が、取り返しのつかない不幸に陥った描写ってあんまり無いんですよね。必ず救われている(今の所)。

つまり、この長月達平先生は、女の子に対して圧倒的なまでに手厚く優しい作者だと思うんです。ゲスな暴力描写とか嫌いなんだろうな、とリゼロを見ていて思います。とある魔術の禁書目録の作者なんて余裕で女の子をAパーツとBパーツに分けたりするというのに。先生、たぶんスバル君とおんなじで、強烈なまでに女子は聖女で守られるべきものと考えているんじゃないかな。レディーファーストなんでしょうね。

©2018 鎌池和馬/冬川基/KADOKAWA/PROJECT-RAILGUN T

しかしこれは、女性を主人公とした物語であるシグルドリーヴァでは裏目に出ているかも知れません。第三話において、本来は物語を面白くするために苦しむべきキャラクターが「主人公サイドの女子キャラクター」ではなく、「その傍らの名もなき男性隊員」という、極めて間接的なものになってしまった。しかも、クラウディアじゃなくて、宮古の方が先に兵士に接触して苦しんでるっていう。

面白いドラマ作りに大切なこと

さて、物語を面白くするためには、一つとっても大切なルールがあります。

それは「主人公は、必ずそのドラマにおいて課題を背負い、悩み苦しむ必要がある」ということ。

スバル君を見ていれば明らかに分かる通り、主人公が苦しみ、悩み、そこから抜け出し、問題を解決し救われることで、視聴者は感動をして喜びを得るのです。

ところが、シグルドリーヴァについては、どうもどのキャラクターもそんなに苦しんでいるように思えない。いや、悩みを抱えているのはわかりますよ? 死神的なポジションだったり、至らない能力であったり、苦しむ市民や仲間を目の当たりにしたときの自身のありかたであったり、或いは世界を救う重責を背負って──でもそれって、バトル系主人公だとスタンダードなお悩みですよね。

それよりも、どうにも解決できない「トロッコ問題」的な大きな課題を具体的に突きつけて、それを「何かを犠牲にしてクリアする」ことにこそ、カタルシスがあるんです。だってスバル君がまさにそうでしょ? 或いは、同じ女の子×レトロ兵器モノのガルパンだったら「廃校の危機という重圧のなかで優勝という無理ゲーを迫られる隊長」という、胃をすり減らすようなポジションを強いられる訳ですよ、西住みほが。半沢直樹だってそうでしょう。まず突き落とされてそこから倍返しするから楽しいんです。前提として主人公は、前半で苦しみのたうち回ってなんぼなんです。

© GIRLS und PANZER Finale Projekt © GIRLS und PANZER Film Projekt © GIRLS und PANZER Projekt

そういう視点でいうと、第三話までのシグルドリーヴァというのは、女の子に優しすぎて、本当に物足りない。かわいいけどね、かわいいけどね、ドラマ上でいうと一人二人マミったっていいんですよ。優しすぎでしょ原作者。作者は、女神が苦しみ荒む様を見たくないんじゃないかと、疑ってしまいます。それをすればドラマが生まれるというのに。スバル君なら躊躇なく苦しめられるというのに。

危惧するのは今後は2つの展開のうちどちらなのかということ

もし第三話がキャラクターの苦しみの最上段なのだとしたら、この物語はただただ女の子がゆるーく一喜一憂するのを眺めるだけの、バトル作品になってしまいます。そうなったらちょっと最悪だと思うんですけど、どうなるでしょうか?

しかし、もし、まあまあ5話くらいまでに、もう一つ二つ上の大きな課題を主人公に背負わせ、何か胃の痛くなるような選択を迫るような構造を作ることができれば、さらなるプラスαの面白さが出てくる気がしています。そういう意味でいうと、正直な所、いまはまだちょっと物足りないんですよね、シグルドリーヴァ。

かわいいけどね、かわいいけどねキャラクター。

かわいいけどね。宮古。

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