僕のヒーローアカデミア〜緑谷出久ことデクとは?悩める弱ヒーローについての雑感

僕のヒーローアカデミア
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このブログを始める前からやっているので、どう書き始めようかずっと考えていたヒロアカについて書いてみたいと思います。

現在ヒロアカはアニメ5期がやっていますが、コミックのほうでは、我らがデクくんがそろそろ無双しはじめました。今回はデクというキャラクターの難しさ、デクというキャラの初期と現在についての雑感を書いてみたいと思います。

ちょっとまだ未整理なんですけど、よかったらお付き合いください。

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デクってなんなん?

ヒロアカというのは、デクというキャラクターが主人公です。さて、彼はどんな主人公でしょうか?

彼はジャンプ王道の脳筋キャラではなくて、どちらかというと、努力家で考えるタイプですよね。

©堀越耕平/集英社・僕のヒーローアカデミア製作委員会

ジャンプに良くある主人公キャラみたいに「うるせーバカヤロー!(ドンッ」とか言って、考えるより先に動くタイプではありません(いちおう設定では、ヒーロー的な気質でもって危機の際には誰よりも早く動く、となっていますが)。で、ヒロアカというのは、そこにオールマイトの完全無欠の能力が付与されたことで、その力の使い方や落差に思い悩む、というドラマ設定になっている。

で、ずーっとヒロアカ見てて常々思っていたことが一つあります。

それは、気弱なデクと、衝動的なデクの落差がはげしすぎて、どうもこのデクというキャラクターは共感が非常に難しいキャラクターだなと。本編を追っている中で、え、なんでそこでそういう感情になるの?というようなことがしばしばありました。

この「考えて動く弱いデク」と、「衝動的に動く強いデク」というのは、本来非常に矛盾したものだと思うんです。そもそも、デクというキャラクターは、分裂症気味のキャラなんじゃないか、と。

ワールドトリガーを例に出すと分かりやすいかもしれません。

ワールドトリガーには、おなじ正義の心をもちつつも戦闘能力は弱いキャラ三雲修がいますよね。彼は、弱さを補うために頭を使います。それは明快であり、その行動や感情表現は筋がとおっています。そして、傍らにはあまり思い悩まずに行動する、肉体派の空閑 遊真がいることで、バランスをとっています。

で、ヒロアカのデクというキャラクターは、いうなれば三雲修と空閑遊真というキャラを同じ肉体の中に、同時に閉じ込めた状態にあると思うんですよ。だから、分裂症気味のキャラクターになっているという。

なぜデクはいびつなキャラ設定なのか?

そもそもデクというのは、キャラデザインにとても苦労したキャラクターだと思うんですよね。それもひとえに「無個性」という設定ゆえに。

無個性だから強い情動をもったキャラクターにはできない、気弱なキャラとしてデクが存在しなければいけない。ですが、正義感という情動は誰よりも強く設定しておいて、オールマイトに認められなければいけない。さらに努力家で勉強化にもしておかなければいけない。そういう、いくつかの相反する設定上の都合を詰め込まれた結果、デクといういびつな主人公になってしまったのだろうと思うんですよね。

話の筋でいうと、例えば三雲修のように、能力がないから知性と努力で対応することに徹したって良いわけです。それで、ゆくゆくは脳筋の爆豪をコントロールしてもいい。飛び抜けた正義の心とオタク的な知性や努力する力をもっていたら、それは十分な個性です。そのままでもいいじゃない。

©葦原大介/集英社・テレビ朝日・東映アニメーション

ですが、作者はデクを最前線に立たせて、爆豪に近い存在にしたいようでした。それによって歪んでしまったように思える。

無個性というスタートにひっぱられてしまったこと、そこに正義と力を無理やり付与した結果として、デクといういびつなヒーローは出来上がったのだと思うのです。人気投票でいうといつも爆豪の方が一番ですが、あっちのほうがキャラとして分かりやすいですものね。それに対してデクが二位というのは、主人公補正な気がしないでもない。

それでもまあ、頑張ってデクくんは主役を張ってきました。いびつであってもデクは主人公だし物語は続くんですよね。

そんなデクは何処へ向かう?

さて、そんなデクは何処へ向かうのか?

物語の終着点は、ヴィランとの和解もそうですが、一方でデクがちゃんとしたヒーローになることですよね。

他のキャラクターは結構、敵も味方も行動動機がわかりやすいですよね。向かう先がわかりやすく、着々と成長している。言論と行動とキャラが一致している。しかし本編では、デクだけが未だいびつなまま、ヒーローを目指しています。

このデクが分裂症気味のキャラクターだっていうのは、作者も途中から気づいたと思うんですよ。その結果、このいびつさに決着を付けなければいけないと思っているんじゃないかしら。

考えられる選択は、今のデクの有り様を逆手に取ることなんじゃないかと。

分裂症気味と言ってしまえばそれまでですが、実はデクという有り様は思春期特有の「心と体の乖離」と受け取れなくもない。これにヒロアカの設定から付与された「正義の心と純粋さと力と性格を無理やり同居させるとどうなるのか?」という命題を加えられて──その結果、どんなデクが生まれるのか?

現在のジャンプ本誌のデクというのは、一周回ってそういうプロセスの途上にあるヴィラン風デクにもみえます。

©堀越耕平/集英社

気になるのは、あの後で、デクがどういうオチ方をするかですよね。

オチ方というのは──ヒロアカのデクや爆豪の目指すキャラというのは、最終的にはオールマイトなんですよね。

つまりは、デクが今の状態を経て、完全無欠のアメコミヒーロー「私が来た!」的なキャラクターになるのか、あるいは、デクの気質を引きずった、何か別のウジウジしたシンジ君的ななにかになるのか、そのあたりが、物語としての一つの評価の分かれ目になる気がしているんですよね。連載ものの設定の勢いで、分裂症気味のデクを作ったのはしょうがない。じゃあ、その後どうするのか? ここ、作者の腕の見せ所ですよね。

期待しているのは──私は死柄木弔というキャラクターが、その成り立ちやキャラの奥深さも含めて非常に好きなんですが──アレは本当によく出来た青年ヴィランだとおもうんです。初期には作者が出来なかったお話をつくる力量が、死柄木弔のエピソードの頃には存分に発揮されていて、詰め込まれていた。ヴィランの有り様はあらゆる生の承認とすら思えました(この話はまたどこかで)。

それを考えると、デクのヴィラン化を経てのオールマイト化ルートは、今の先生なら「描ききれる」んじゃないか、描ききってくれるんじゃないと思うんですよね。

ジャンプ的主人公のために、設定によっていびつになってしまったデクを逆手にとって、どうにかかっこいい大人デクにたどり着いてほしいなって思うのです。

そういう、期待感をいだきつつ、デクを追いかけると結構面白いなと。

以上、未整理ながらも、初期から現在にいたるデクの在り方についての雑感でした。

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