ホリミヤ見てます。
特に感想書く気もなかったんですけど、未整理ながらもちょろっと雑感。
ミヤムラは一家に一人ほしい
まずミヤムラがいい。
彼は、家に一人ほしいタイプの男子ですよね。堀恭子のキャラクターは、わりと過去作品のヒロイン類型の範囲にありますが、それに対して、ミヤムラのような控えめ陰キャな雰囲気イケメンを宛ててくるというのが、心地よい。
憧れているとか、強いられているとか、奪われているという状況ではなくて、気づいたら傍らにいる。気づいたらかけがえのないものとなっている。
気づいたら、視聴者は「ミヤムラうちにもほしい」とか思っている。その自然さが心地よい。
恋も友情も疑似家族めいた時代
思うに、昭和平成とかの前半の恋愛って、よくも悪くも、恋に恋い焦がれる不自然な夢みたいなものが、男女の間に横たわっていたと思うんですよ。
いやまあ、今もそれ、あるといえばあるんですけど、恋愛バラエティーとかが流行るようになってから、それはもうすこし、生活感のある目線まで降りてきたと思うんですよね。
昔のトレンディードラマとか見ると「そんなドラマチックなことありえないでしょ」とか「そんなに事件ばっかおきて面倒くさくない?」とか思っちゃうんですけど、ま「世界系」とかは置いといて、今の時代スタンダードな恋愛モノは、友情の延長なのか、あるいは家族の延長なのか、生活感というのが一つがキーになってきていると思う。
そういう所を、ただネタに走るのではなくて、うまくデフォルメしてみせているものの一つがホリミヤかな、という印象でした。
感覚麻痺が生理的なボーダーを超える
基本的に、人というのは常に横にいる人に、安心し好感を抱くようにできていますよね。
相手が人並みであれば、さほど美醜にかかわらず、好意の選択権というか優先権がくりあがる。
かつてのあいのりとか、あるいはシェアハウスモノの恋愛バラエティとか見てるとそうですよね。見る側まで常に人格に接していると好感を抱く。、相手が多少ポンコツで、初対面だったらありえないタイプでも、親しみを感じてしまう。
相手のリアクションや行動に理解がおよぶことで、予想がつくこと、加えて気にいらない一面についても感覚麻痺がおこって、生理的なボーダーラインが下がることで、そうなるんだと思うんですよね
そうやって、身近な人は自動的に家族にある。ま、現実に置いては、それは必ずしもそれは恋愛とイコールじゃないですけど。
で、ホリミヤが仕掛けているもの、堀京子と宮村伊澄が発生させているものもソレですよね。
結婚後の生活の予行練習
象徴的なのは、やっぱりイマドキ「結婚」はゴールじゃないんですよね。過去の恋愛モノって付き合うとか、思いが届くとか、結婚がゴールだったんですよ。
でも、ホリミヤは、いきなり生活からはじまっている。
疑似家族からスタートしている。もちろん後付で恋心を自覚して互いに思いを伝え合う流れになるんでしょし、着地は結婚なんですけど、一方で、あきらかにふたりとも自覚的に擬似家族をやってますよね。前段として弟を子として扱っている。そのやり取りは既に若年結婚した夫婦です。
この物語における、最終着地点の結婚というのは、ふわふわとした疑似家族から、生活のための最小団体としての覚悟を決める、という極めてリアリティのある判断じゃないかな。
結婚後の夫婦が未来を見据えて思いを新たにするような感じですよね。ま、結婚自体は儀式であり記念日ではあるんですけど。
そういう、前後時系列の反転した生活感のある関係が、本来は当たり前だし、当たり前だからこそ、こうやって改めて作品にされると新鮮で尊かったりするのよね。
2つの恋愛パッケージの出現
ホリミヤが推される理由って、まあ逃げ恥とかもそうですけど、旧来の視野の狭い、互いに願望だけをぶつけ合う大恋愛が、疑われた結果だと思うんですよ。
いやもちろん、引き続き大恋愛はあるんですけど、つまりは嗜好品としての大恋愛やそれに対しての憧れと、生活としての恋愛が、作品の種類として明確に別れてきたんじゃないかと思っている。
嗜好品としての恋や憧れは、引き続きコンテンツとしてあるんですけど、それはそれでしょ、という。絵空事としてそっちはそっちで先鋭化している。
そして、生活としての恋物語の、一つのラインナップにホリミヤというのが置かれているんだと思います。作家が自覚しているかどうかはわかりませんけど、そういうものは着実に一般化している。ジェンダー嗜好に特化した作品は相変わらず欲望願望ぶつけあってますけど、まあそれは嗜好品ってことですね。対してボーダーレスなラブコメは、確実に生活感がにじみ出る方向に向かっている。
さて──
私は原作未読なので、この先どうなるか知らないんですが、聞くところによると他のキャラクターもいろいろと関係を作るらしいので、そのあたりも含めて、引き続き楽しみたいと思います。
あと、関係ないけどEDが良いね。あのSNS箱庭サービスのアバターみたいな人物のキャラクター化は、昨今の日常感覚をよく表していると思う。