俺ガイルにおける「青春アンチ思想」のウソとマコトと今後の”完”の見どころについて。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。
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©渡 航、小学館/やはりこの製作委員会はまちがっている。完

「俺ガイル完」がクライマックスに向かって突っ走っています。比企谷八幡を中心に、ヒロインズの整理整頓が進む。そのやり取りは、間違っている青春ラブコメのはずなのに、極めて間違っていない青春ラブコメに向かっています。

イイハナシダナーと思う反面、こういうラブコメは俺ガイルっぽくないなー、なんて感想もちょっと抱いてしまう。アンチ的感想がまったく無いといえば嘘になる。

そもそも、俺ガイルがタイトルどおりの物語であるなら、内容はラブコメテンプレからも逸脱すべきです。そして俺ガイルは期待を裏切らず、常に学園ラブコメの定石くずしを行ってきた作品でした。

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青春の欺瞞を暴く物語

初期の比企谷八幡は、学園世界の青春の欺瞞を暴くモンスターでした。

俺ガイルにおいて、ゆきのんが抱える天才美少女という嘘、ガハマさんの抱えるゆるふわ都合の良いギャルという嘘、いろはすのツンデレ小悪魔後輩の嘘は、比企谷八幡によって暴かれるべきものでした。そして、それは劇中で一定のクリアがなされます。ゆきのんの正攻法は八幡の変則的なアイディアによって破壊され、ガハマさんのゆる女子ポリシーは取るに足らないものとして扱われ、いろはすは正しくその欺瞞を論破されています。しかしその結果──比企谷八幡は彼女たちに好かれるという状況にたどり着いています。

ここまでが今までのお話。

え、めっちゃ「青春」してるじゃん? かつてのリア充絶対殺すマンだった比企谷八幡はどこいったの? なんて思うかも知れません。ですが、今の段階でこの展開自体は問題ありません。なぜならばまだ結論がでていない。問題は、この後どうなるか、ですよね?

さて、ここで思い出されるのは、やはり一期のキャッチコピーですね。

青春とは嘘であり、悪である。

©渡 航、小学館/やはりこの製作委員会はまちがっている。

この一期のコピーは秀逸でした。

嘘が嘘だと暴かれることを視聴者は期待する。そこが俺ガイルの1番のウリでした。それは初期徹底的に貫かれていました。学生時代の青春が欺瞞に満ちた妄想であり、ラブコメが多くの人にとって夢物語であることを暴き、正しい青春群像劇を目指す──それが俺ガイルのコンセプトの根底には存在していました。

誰かを選ばなければいけないラブコメの残酷

一方で、ラブコメというのは構造的に嘘とジレンマとストレスを孕む残酷物語でもあります。最後には必ず誰か&何かを選ぶ必要があります。

©渡 航、小学館/やはりこの製作委員会はまちがっている。完

そして──ラブコメのラストに向かう一連のシークェンスというのは、物語の欺瞞がもっとも際立つ瞬間でもあります。

誰かを犠牲にして関係をなりたたせることの残酷さをどう誤魔化すのか? かつてあらゆるハーレム型ラブコメが「何かいい感じで話終わってるけど、犠牲者でてるんだぞ!」というような調子で物議を醸してきました。

ニセコイも五等分の花嫁も正当ヒロインエンドで阿鼻叫喚です、俺妹は倫理的にどうなんだという物議END、はがないは意味不明、ToLOVEるはハーレム不可避、様々な作品の色々な結末には賛否ありました。そして、それらを嘘と断じて真っ向から勝負するのが俺ガイルという作品だった。

俺ガイルの「コピー」を再確認

さて、ここで改めて例のコピーを精査してみましょう。「青春とは嘘であり、悪である」というのは、要するにこういう事↓だと思っています。

青春が輝かしいく素晴らしいというのは嘘です。何故ならばその影には必ず犠牲者が存在します。というかほとんどの人が犠牲者です。だから、それをさも良いことのように扱って夢を抱かせるのは悪なんじゃないの?

つまりは、先に上げたラブコメの全ては夢であり欺瞞です。それを暴いて見せて、悪と断じるのが俺ガイルのあるべき形という訳ですね。

俺ガイルはラブコメ定石を超えるか?

そんな俺ガイルのオチは何処に向かうのか。

比企谷八幡は3人に好かれてしまいました。俺ガイルは、それをどう処理するのかによって、「青春はウソである」というロジックが正しいか間違っていたのかを問われてしまう状況にあります。作品自体がめちゃくちゃ自分でハードルを挙げてきています。そこからして凄いんですけど、問題はどう風呂敷を畳むのか、ということですよね。

つまりは、作品コンセプトを崩さずに誰かを選ぶ/選ばないという判断をしなければいけないんです。

3人の中から誰かを選ばなければいけないというなら、構造上ゆきのんが選ばれることは明確なのですが、それを単純にやってしまうと『俺ガイルよ、やっぱりオマエもタダのラブコメだったか』という感想に成りかねない。つまりは「青春は嘘ではなく悪でもない」という夢のあるメッセージを発信してしまう。そんな安直なことは、俺ガイルでは絶対にやってはいけないことだと思うんですよね。

今後の見どころ

じゃあどうするのか? 幾つか方法があると思うんですが、やっぱりベースはリアルさの追求だと思うんですよね。ラノベ発のラブコメでありながら、人物の変化のプロセスを生っぽくやってのける。リアルを示すことでフィクションの嘘を暴くのは、一つの手法だと思います。普通、そういうの文学方面がやるんですけどね。これをラノベ発の物語で、丁寧にギリギリまでやるのはとても意義がある話だと思えます。

そういう観点から考えると、やはり見どころは、3人のヒロインと八幡の向き合い方ですよね。それが妄想いっぱいのラブコメ定石からどうはみ出るのか、というのが重要だと感じます。すでにその萌芽はあります。

真っ先に定石をくずしてるなーと思うのは、一色いろはの振る舞いですね。彼女はリアルな動機づけに基づいて動いている。彼女は人間関係に悪態をついて、現実を見据えて、したいことをして前に進む。欲望を肯定しているから、ウソに見えないんですよね。だから好きと言っても言わなくても、振られても、問題ないと思える。これが普通のラブコメなら、何を勘違いしたか「突然告白して泣いて罵倒してスッキリして終わり」とか、そういうひどいあつかいを受けるんですけど、6話時点で彼女の言葉には説得力がある。とても丁寧に葛藤や心情変化を描いている。そのあたりが魅力的なのは、前に解説したとおり

ゆきのんも、前回解説したとおり八幡の影なので、実はどう転がっても問題ない。つまりは八幡が成長する(八幡の成長の糧となり、また本人も成長するなら)なら、その終わり方は何であれ(フラれようが付き合おうが)問題のない構造だったりします。八幡がウソじゃなければゆきのんも真実になるという、そういう関係なんですよね。大枠でそれは、引き続きほぼ問題なく機能している。

©渡 航、小学館/やはりこの製作委員会はまちがっている。

問題はガハマさんです。別でフォローする解説をしましたがどうも書いてて苦しかった──彼女は6話時点でどう成長するかイマイチまだ不明なんです。八幡に母性を発揮して見届けENDになるなら、そんな天使みたいな都合の良い女子いねーよ、というダウトコースです。実はガハマさんって、今まで一度も、わがままらしいわがままを言っていないんです。強引に人生を選んだことがないんですよね。そこが非常にウソっぽい。だから劇中で、ぜひ何かを選び取って、生々しい成長を見せて欲しいと思っている。6話時点では選ぶって言ってるしね。

©渡 航、小学館/やはりこの製作委員会はまちがっている。

つまりは、2ndヒロインでありながらダブルヒロインの片割れでもあったガハマさんが、どう自身と劇中世界に決着をつけるのか、そのやり方が一つの分かれ目だと思っています。それはガハマさん自身が選ぶのか、それとも八幡によって突きつけられるのか?いろはすは自分で選びました。ゆきのんも、八幡も自分で選んでいる。ならばガハマさんもぜひとも自分でリアルなものを選んで欲しいな、なんて思います。このあたりは、どうなるのか結構期待しています。どうか期待を裏切らないで欲しいと本気で思っています。

それから、後は忘れてはいけない八幡の成長と思想の決着。

そういえば6話で、八幡が行動を起こした時、はじめて謀略ではなく自ら理由を説明して、皆を動かしていましたね。それは一つの成長です。こういう成長を八幡が劇中でどこまで自覚するのかは不明ですが、彼の言う「本物」とのつながりも含めて、引き続き見どころになりそうですね。さらには、青春とは嘘で悪という思想も覆すのかどうか?このあたりにしっかりと決着をつけてきたら、俺ガイルは本物の傑作になるんじゃないかな、と思います。

今の所、俺ガイルはとても丁寧に話が進んでいます。そしてギリギリのところでテンプレ化を避けてるようにも思えます。まだ半分なんですよね。この後どんなドラマが待っているのか、期待は膨らむばかりです。

以上、俺ガイルにおける青春アンチ思想のウソとマコトのあり方と「俺ガイル完」の今後の見どころについてのお話でした。

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