スポンサーリンク

アニメ版リゼロに見る、シナリオ構造におけるループ物の「ズルさ」と「シンドさ」。

Re:ゼロから始める異世界生活
©長月達平・株式会社KADOKAWA刊/Re:ゼロから始める異世界生活2製作委員会

リゼロ「Re:ゼロから始める異世界生活」の2期の感想を書くにあたって、おさらいをしなければと思い、第一期を大急ぎで再視聴する。放映当時ブームを起こし、特定層を中心に信者を数多く生み出しましたリゼロでしたが、第一期を改めて視聴して、その底力に気づく。というかループものは本当にずるい!こんなもん面白くなるに決まってるじゃん!という印象。

さて、今回はちょっと創作者寄りの記事です。あっさりめですが。

繰り返される山場シーン

筆者は現在、シナリオや小説をすこしかじっているセミプロですが、このループものというのがいかに物語制作上ずるいかというとですね──だいたいドラマの山場というのは、A地点からB地点へと一方通行で絶対に巻き戻せないようになっていますよね。作者が決め打ちしたら、そのルート一つで視聴者に「さあどうですか?面白いでしょう?」とやるしかない、一発勝負なんです。しかし、これがループ物になると、やりたいと思っていた、戦闘シーンなり、死に方なり、情緒の変化なりを毎回ルートを変えることで複数回提示できてしまうんですよね。

©長月達平・株式会社KADOKAWA刊/Re:ゼロから始める異世界生活2製作委員会

何を当たり前の事をいっているのか──と思うかもしれませんが、ドラマづくりにおいて一発で答えを出すということはとってもシンドくてですね、しかも本来やり直しが効かないものなんです。

なので、ハリウッド映画なんかは、ラストを複数パターン撮って、上映前にアンケートして一つを選んだりしている。まあ、それは極端で金のかかる事例ですが──ドラマ制作でやらなければいけない事として「物語の情報伝達を、いかにわかりやすく構造的に行うのか」というのがあります。これはようするに伏線の提示と回収をどういう順序でどの様に伝えるのかということなんですが、これは本来はとても頭を使う面倒な作業なんです。

ですが、ループものはその面倒さから、ある種開放されるような自由度の高さを持っている。

とんでもなくずるい物語構造

簡単に行ってしまうと、ループ物というのは、ルートを変えるだけで、自然に「そうだったのか!」と主人公や視聴者に情報を伝えることができてしまう。

ここでいうポイントは「自然に」という所にあります。大体ループものは物語の前提として「ループします」という情報が視聴者に宣言されているので、新たなルートにおける情報提示は、それがどんな形であれ、あまり不自然にならないんです。

逆に、ルートが一本しかないドラマだと、場合によってはある情報を伝えるために、強引に事件を起こす必然に迫られることがある。物語創作者は、この不自然な事件の発生をどう自然にするのかということにいつも頭を悩ませている。自然じゃないと、取ってつけたような展開になって話がチープになっちゃうんです(韓流ドラマ的なベタベタな展開とかね)。物語創作者は、劇中のすべての事件に理由や必然性をつける。そのための仕込みや構造づくりを本編とは別にしなきゃいけない。

©長月達平・株式会社KADOKAWA刊/Re:ゼロから始める異世界生活2製作委員会

もちろん、ループものも事前の仕込と構造化は丁寧な準備が必要ですが、個別の場面についてはずっと自由度が高い。何故ならば主人公が「アッチがダメだったから次はコッチ」という行動の必然性をもって毎回かならず動くし、都度都度で、こまめに事件の理由と結果の解説がなされるんです。これが物語構造として非常にわかりやすい。一方、一本道だと視聴者は初期の伏線を忘れることがあるんですよね、あるシーンを見逃したら全く話が理解できなかったりする。しかし伏線を主張しすぎるとネタバレが酷くなったりする。そういう部分もふくめて一本道のルートはループ物より情報提示に気遣いが必要になる。

そして、ループ物がなによりもずるいのは──色々な、恋愛模様、怒り、悲しみ、死に方、戦いを描いて、あらゆる視聴者のニーズを満たすこともできてしまう。あー、ループ物というのは、本当に物語構造のテンプレートとして優れているしずるいと思う(笑)。

ループものによる作劇のシンドさ

一方で、ループものは、後半に行くに従ってしんどくなるというのも見て取れる。たとえばすばるキュンは複数回死に戻る訳ですが──その死に方や展開に、やっぱり視聴者は飽きてくる訳ですよね。「どうせまた、死んでリセットするんでしょ」というようになって、感動が薄れる。この辺は、たとえばまどマギは1クールで収める前提なのでちょうどよく巻き取れた。オール・ユー・ニード・イズ・キルも2時間映画なのでギリギリセーフ。一方でシュタインズゲートは2クールあったので、途中間延びしてお腹いっぱいになった。キャラを替えて総当りする、というエロゲ特有の攻略展開でしのいでいたけど。(※一方、シュタゲはその構造において、ゲームシナリオ特有の複雑さを凄まじいまでに、奇麗にまとめて物語を回収してみせましたが──それはまた別の話)

話をもどします。リゼロについては、中盤以降は死に戻りのチープ化は白鯨くんを登場させることで上手くやったと感じている。あれで2クールずっと死に戻りばっかだったら「いいかげんにしろ!」となったんじゃないかな? つまりは、ループ物は物語が長くなればなるほど、パターン化に捕らわれる危険性というのは、リゼロからも一瞬垣間見えた。

©長月達平・株式会社KADOKAWA刊/Re:ゼロから始める異世界生活2製作委員会

このあたりが、ループ物をやるときの難しさだと思うんですけど、アニメ版のリゼロはそこを設定と展開で本当に上手くクリアしている。原作未読なんですけど、原作もこれくらい凄まじくまとめてきているんでしょうか?(見ろよ、って話ですが)

ループ物を新たに出すことのハードル

さて、そんなループもの物語構造ですが、展開構造におけるズルさ、長編物にするシンドさの他にもう一つ、創作者側からのもどかしさがあります。

それは、昨今は「流石においそれとループ物をやれなくなってきた」という話(笑)。

つまり、シュタゲの真似、まどマギの真似、リゼロの真似、とか言われちゃうわけですよ。BFFTのマネでもいいけど。ここ数年で、物語制作におけるチートともいえる構造を持った「ループ物」で新作新タイトルでやるハードルはとんでもなく上がったと思える。なんかさ、エヴァの新作がループっぽい匂いしているんだけど、あれ2回めのルートとかだったら、がっかりだよね。つまりは、親時代のデウス・エクス・マキナと言っても過言じゃないくらい禁じ手感が出てきている。ホントそれくらい、僕らのループ物への要求とまなざしは厳しいものになっているんじゃないかな。

(C)カラー

やりたいけど、やったら逃げ、というような空気感がある。いや、やっちゃう人いるんだろうけど。いずれにせよ、そのうち新しい切り口のループものが出てくると思うんですけど、リゼロその他の先行する名作群を一つクオリティの基準としたとき、何がそれを超えてくるのか、ちょっとワクワクしますよね。

一方、作り手にしてみれば、しんどいかぎりでしょうが。

タイトルとURLをコピーしました