リコリスリコイルの魅力は錦木千束の生々しさに集約される

リコリスリコイル
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リコリスリコイルが人気ですね。

面白いと評判の同作品ですが、なぜ注目されることになったのか?いったい何が面白いのか?そのあたりについて、いくつか気になったことがあるので考察。

リコリスリコイルは本当に面白いのか?

リコリスリコリ、面白いんですけど、その面白さってなんなのだろうって思うのですよね。

本当に細かくみてゆくと、銃と不条理展開と美少女に萌えることを第一とした、消費されるたぐいのアニメーションであり、意図して何かメッセージが込められた作品ではない。こういう作品というのは、昨今は一大マーケットを築いていますから、なんら新しさがあるわけでもない。

そもそも、リコリスリコイルのベースにあるのは、ガンスリンガーガールであり、それに明るさと今どきのみずみずしさを加えただけのようにも見えてしまう。

でも、なにか既存の作品とは違う魅力を放っている。

それは何なのか?タイトルでちょっとバレちゃってますけど、やっぱりリコリスリコイルの成功って錦木千束の魅力に集約されると思うんですよね。

エキセントリックかつ斬新なキャラクターの錦木千束

僕はこのブログでよく書いていますが、昨今のヒロインというのは、自立していて男子に媚びることがないキャラクターが増えてきていると思っています。

アニメーション的にはまあまあ視聴者に媚びている(属性がぶっこまれている)訳ですが、劇中における人物としての媚というのは、少なくなってきている。

戦場ヶ原ひたぎとか、ミカサとか、釘先野薔薇とか、魔女の旅々のイレイナとかもそうですけど、俺ツエーならぬあたしツエー要素があって、男子の軍門に下って守ってもらうようなヒロイン像じゃないんですよね。

※参考過去記事:呪術廻戦における「恋」に消費されないヒロインたち〜釘崎野薔薇は時代の女子を正しく映す?

で、錦木千束もそういうタイプです。いまのところチートキャラですし。

でも、キャラデザイン自体は普通です。

何が特徴的なのか?

感じるのは「生々しい性格」そこから「作り込まれた台詞」「それらを高度に生々しく表現した声優」ですね。

これが、奇跡的に噛み合った結果、今まで類を見ない魅力的なキャラクターが飛び出してきた。

錦木千束は生々しい

生々しいといえば、ダイナゼノンとかグリットマンとかのヒロイン、あと一色いろはとかもそうですけど、ベクトルは違えど千束もまた実在感という点において、生々しさがある。

とくに言動。

彼女は、オラついた男っぽいメンタルと、女子的な振る舞いをするメンタルが同居している。

これってとっても実在の女子に近いものがあるんですよね。

基本的に実在の女子というのは、常に女子力を発揮しているわけではなく、時におっさんであり、おとこっぽくもあり、オラつく存在だったりするわけです。汚い言葉もつかえば、ゲスいふるまいもする。一方で人によっては、女子の魅力や優位性というのもしっかりと理解しているので、オラオラモードと女子モードの使い分けをするんですよね。

で、錦木千束も、おっさんぽい男っぽいオラオラモードと、女子を使い分けている。

これが生々しい。

その特徴は第一話の呑んだくれ中原ミズキに対するキッツイ言葉「冗談は顔だけにしろよヨッパライ」からひしひし現れていました。千束にはクソなものはクソだと言ってのけるメンタルがあって、それに言動がついてきていて、あのかわいいとオラオラの落差が際立つ台詞回しとなっている。さらに、そのギャップを際立たせる声優の声も見事にマッチしていた。

この時の多くの視聴者の違和感は「え、この新アニメのヒロインなんか従来の萌え美少女キャラとちがう」という不安につながります。第一話の段階で、まだ千束を掴みきれていない視聴しには、それはなにかやらかす怖さがあったと思う。

それで視聴を続けるわけですが、スグに理解する。この子は悪い子ではなく、どうやらそういうキャラなんだ、と。これが主人公か、と。更に視聴を続けると、次第に感じ始める。

オラオラした性格と女子の有利性を打算的に使い分ける千束って、なんか実際の女子みたいだなー=実在感のあるヒロインだなぁ、と(一色いろはがリアルなのもこれと同じ)。

参考過去記事:俺ガイル〜一色いろは/いろはすのあざとい変化から見えるキャラの魅力や生々しさの理由

これを狙ってちゃんとやりきっていのがすごい、それによって見事なまでに、作品を魅力的なものへと塗り替えている。千束の魅力によって。

狙って作られた錦木千束

ただ僕は、当初、このキャラデザインが狙ってやっているのか?それともデザイン上のブレなのかが判断つかなかった。

もしかしたら、たまたまそういう台詞回しをなんとなくキャラ付けのために入れていて、あとになってキャラが破綻して本当によくわからないヒロインになるかもしれない、とか思っていた(最近だとスーパーカブのヒロインみたいにね)。

でも、そうはならなかった。それが確証に変わったのが、第五話のたきなが千束の胸に耳を当てるシーン「本当に鼓動ないんですね」→「そう、すごいだろ」です。普通、なぁんも考えないで作った媚びキャラだと、千束のセリフは「すごいでしょー?」なんですよ。こびた感じで。というか旧来のアニメだとそうなるでしょ。

でもここで、「すごいだろ」と男言葉を使ってきた。

これはキャラデザインにブレがない証拠です。ここでようやく確証をいだく。ああこの監督は、ほんとうに錦木千束を作り込んできたのね、と。

さらに先程ものべましたが、声優の安済知佳の声も絶妙にマッチしている。普段は抜けたようなふわふわしたトーンの声で、けっこう不安感があるんですが、それでいて破綻しないし、オラついた時にはちゃんとドスが効いている。

この声優によって、錦木千束は本当に命が通ったと思う。

そして視聴者は惹きつけられるのです。

なんか「実在しそうな生々しい言動をする女子キャラクターが銃を振り回して、活躍しとる?」

え、「次はどうなる?何をやろうとしているんだ、この子は?」と。

これがリコリスの連続視聴につながる。

普通のアニメが千束によって魅力を持つことの意味

冒頭にも述べましたが、リコリスリコイルという作品は、錦木千束以外は、まあ今まで見てきたものの範囲であり、どう作り込まれた世界観や展開であったとしても、そんなに特別なものではないんですよね。

たきなも、喫茶リコリスも、敵も味方も、今まで見たことのあるキャラテンプレと造形の範囲であり、そんなに目新しいものではない。銃撃スタイルはジョン・ウィックであり、ベースはガンスリンガーガールであり、作画は昨今萌え美少女トレンドにのっかっている。

ただ、そのありきたりかもしれない架空の世界に、錦木千束という生々しいキャラを一人置いたことで、とたんに視聴者を巻き込む魅力と実在感を出してきた。

いくつかのインタビューを見ると、どうも足立慎吾監督は千束ほかキャラクターを魅力的にするために、相当エネルギーを費やしたみたいですね。それは功を奏したと思えます。

それはギリギリの奇跡だったのかもしれないけれど、錦木千束の実在感や生々しさこそがリコリスリコイルの魅力を一段上に引き上げた理由だと思っています。

もし、主人公が今の錦木千束でなければ、たぶん有象無象のアニメーションのなかに埋もれていたんじゃないかなー。それくらい、昨今の中ではインパクトのあるキャラだと思いますよ。錦木千束って。

で、たぶんね今後こういうキャラクターって増えると思うんですよね。リアリティのあるキャラ、マンガマンガ、アニメアニメしていないキャラクターというか。

それってどういうことかというと、細かくと「多面的で実在感のあるキャラ」ってことです。フィクションにおけるキャラクターって基本的には一つの方向からみただけで作られた平面キャラがわかりやすいので主流なのですが、生身の人間ってそうじゃないんですよね。生身の人間というのは、光と闇どころか、グレーも黄色も赤も白も持っている、相手や場面によってコロコロ変わるのが生身の人間です。昨今の世の中のポリコレ志向とかを考えていくと、トレンドは多面的であることだと思うんですよね。

それが、よく現れているのが、新しい世代の監督である足立慎吾が作った、多面的な魅力をもった錦木千束だと思うのです。千束というキャラクター造形は新しい時代ならではの着想ではないかとも思います。

彼女にあるのはオラオラと天真爛漫の属性だけではないと予想しています。

今後の展開でいうと、殺人者としての闇属性も持っていると思うんですよ。それが視聴者にいつこの幸せな世界がこわれるのか?という不安感を掻き立てる訳ですけど、そういうふうに、生々しく多面的なキャラ造形一つで、作品に魅力を作り出す手法というのは、今後ポツポツと演る人がでてくるとおもうんですよ。

その一つの成功例が、リコリスリコイルと錦木千束になるんじゃないかなーと予想しています。

まあ、とはいえ、そのあたりは最後まで見ないとわからないですけどね。とりあえず現時点での感想と考察はここまでです。

そこんところがどうなるのか──引き続き千束とリコリスリコイルを追いかけていきたいと思います(実は傑作になるためにはもう一つハードルがあるとおもっているが、監督がそれをやるかどうか・・・)。

以上、錦木千束の生々しさの解説でした。

動画版はこちら(内容微妙にちがいます)


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