呪術廻戦における「恋」に消費されないヒロインたち〜釘崎野薔薇は時代の女子を正しく映す?

呪術廻戦
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(C)芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

今回はちょっとカタめのお話を、ヒロイン像の変遷という形でお話したいと思います。

呪術廻戦は少年向けアクションマンガなので、ヒーロー&ヒロインが一通り揃っています。

ですが、タイトルの呪術廻戦のヒロインは、どうも旧来の作品と違って、とっても生命力に溢れていて力強い。喧嘩も強いし、呪術も強い。ヒロインとして消費されるきらいがない。そういうキャラ付けなんだ、といってしまえばそうなのでしょうけど、なんとなく見ていて、僕はそれだけではないよなー、と感じたんですよね。

呪術廻戦における女子キャラクターの設定というの、ある種時代の空気感を反映したものなんじゃないかな、なんて思っているのです。

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旧来のヒロイン像

旧来のヒロインといえば、か弱い&お色気担当で、多くの場面において守られるべき存在です。そして、だいたい恋愛脳を抱えていて、劇中の主人公らと、そういった観点を軸に交わり、時にパートナーとして並び立っています。

ナルトのヒロインである、サクラは忍術の才に恵まれながらも他方ずっとサスケに恋い焦がれていました。ヒナタもナルトをずっと想っていた。スラダンなら、ハルコさんは流川を想い、ブリーチのルキアは共依存で(笑)、バカボンドのお通さんは吉川英治の時代小説のとおり完全に恋愛脳。ハンタは──ヒロインはほぼ存在しないけど、過去作では、雪村螢子やぼたんがいたり。るろうに剣心では薫殿は完全に乙女でした。東京喰種のトーカちゃんあたりは、ちょっと毛色が違うけども。あとブリーチのルキアもまあ恋要素はないかも?

©石田スイ/集英社・東京喰種製作委員会

いずれにせよ、旧来のヒロインというのは、少年誌向けの調整がなされて、守り守られる存在であり、程度の差こそあれ恋を常に意識させるような行動をしていました。

しかし、それが呪術廻戦だと?

呪術廻戦のヒロイン像

別記事でも描きましたが、釘崎野薔薇は恋愛とは無縁で、その興味の優先度は「上京」「自立」そして「呪術による社会貢献」そして「観光とショッピングとイケてるライフスタイル」ですよね。伏黒、虎杖の二人に対して対等であり、恋愛要素はほぼ皆無です。弱みもない(とってつけたようなものが、コミックで一瞬ありましたけど)。

また、他にも女性キャラクターがたくさん出てきますが──主人公側の人員である、禪院真希パイセンもとっても強い女子です。恋愛よりも気の回る良い先輩であることを目指す苦労人です。妹の禪院真衣は姉と対になる形でやっぱり苦労人。そして京都校の三輪霞も、五条悟を追いかけてはいますが、基本的には恋要素とは無縁です(※修正:後にメカ丸から想われていたことに気付く)。お色気担当は基本的に存在しない。過去にそういう作品が無かった訳ではありませんが、ここまで徹底しているのがとても興味深い。

(C)芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

なぜそうなったのか?

なぜジェンダーにおける消費要素が減ったのか?

虎杖の行動動機が「人間社会の役に立つ」という聖人めいたものだからというのが一つありますね。彼は、友情は抱くが特定の個人に心を寄せない。あと、作者が恋愛がらみのエピソードが苦手なのかもしれない、というのもありそう。

しかし、他方、僕はこれは、作者が「無意識的に女性にリスペクトを向けた結果」なんじゃないかと思っています。

ぶっちゃけ、過去のヒロインたちというのは、恋に性に消費される側面が多かった。女子は恋をし家庭をもたなければいけない、という昭和的なバイアスがあって、その中で主人公を助け、物語に絡んでいた。

対して、呪術廻戦においてのヒロインたちは、そういうものが皆無です。彼女たちはまず、男性に比類する内発的な行動動機でもって、男子と変わらず自身のやるべきことを目指すのです。そのうえでまあ、機会があれば恋をすることもあるでしょう。

(C)芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

こういう描き方をするのは、ある特定の世代のクリエイターが無意識に女子を「少年誌的に消費すべきもの」ではなく「対等なジェンダーとして考えはじめた」からだと思うんですよね(多分90年代〜生まれのクリエイターあたりからだとおもうんですけど)。そしてそれは、今の時代に至って作品に顕著に出てきている。

それが、ようするに、巡り巡って令和昨今の実際の女子の有り様の反映、あるべき形の反映に結果としてたどり着いたんだと思うんですよね。釘崎野薔薇も、禪院真希パイセンも。

先行してヒットした最近の作品でいうと、進撃の巨人とかもそうですよね。あれに出てくるヒロインも強かった。ミカサはいうにおよばず、ジャガイモやアニ、クリスタだって強かった。また先にあげた東京喰種もそういう一面があります。

©諫山創・講談社/「進撃の巨人」製作委員会

これらに出て来た一部キャラクターは「消費されない対等なヒロイン」というのを象徴している。そして、今後はそういうキャラクターがとても増えると思っている。ラブコメのかぐや様ですら白銀会長と対等ですし。そう考えると、ジブリのヒロインも、新海誠のヒロインも消費される古いヒロイン像をちょっと引きずってますよね。ま、ジブリは見事なババアや烏帽子様を登場させることで帳尻をあわせていますけど。あ、ワンピとかも旧来のヒロイン像を引きずっています。麦わら海賊団は男女対等にみえますけど、ボア・ハンコックについてのエピソードは、完全に父性的価値観でかいちゃってますよね。無自覚に。

少年誌における新ヒロインの可能性

話を戻します。

こういう旧来のヒロイン像が刷新されたら、物語というのは、或いは恋愛要素というのはどう変化するのか? 恐らく、新しい価値観に即して、より多様なドラマを生んでくれると思うんですよね。

それ自体はそんなに難しく考えることではなくて、ようするに立場の逆転ですよね。女性的な男子もいれば男性的な女子もいるんだってことです。そしてそれぞれのポジションに貴賤なく高低ないということです。まあ、女性男性という区分自体も旧来のものですが、そこがもっと多様で曖昧になる。そこに奥深いドラマが生まれる。

また、新ヒロイン像は、ターゲット層の拡大にも寄与します。マーケティング的なことを申し上げますと、ジェンダー的に偏りのない作品というのは、男性も女性も楽しむことができるものになります。鬼滅の刃とかもそういう側面あると思うんですよね。恋柱の甘露寺蜜璃って、あれ恋愛脳っぽく性的消費されそうな描かれ方していますけど、本質は違うところにあると思うんですよ。嫌味がないっていうか(そのあたりまたドコかで解説したいと思います)。

またとある科学の超電磁砲における御坂美琴というのも、強い新ヒロインの最右翼で、新たなジャンルをビリビリ切り開いたキャラクターだと思います。パンツみせないしね。インなんとかさんは、旧来ヒロインなので消えってった。

©2018 鎌池和馬/冬川基/KADOKAWA/PROJECT-RAILGUN T

これらは、まだ模索段階&無意識レベルのヒロインたちの振る舞いかもしれませんが、僕はそこにとっても物語やドラマの可能性を感じるのです。

さて、今後はどんなヒロインがでてくるのか?そして、釘崎野薔薇はどんな活躍をしてくれるのか?引続きちょっと目が離せません。

今回は、そんな期待を込めたお話でした。

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