えー、リゼロが引き続きドチャクソ面白いですが、ちょっとリゼロに関連して堅苦しい話をしてみたいと思います。
ごく一部の層に、その面白さから多数のファンを生み出したリゼロですが、その主人公、ナツキ・スバルくんは劇中、多くの女子から好意を寄せられる、うらやましい男子となっております。
一方で、彼はとんでもなく紳士ですよね。魅力的な女子キャラクターが多いなかでも、スバルくんは、正妻のエミリアと2号さんのレムの二人への好意がブレません。2人囲っている時点でダメじゃんなんていわないでください。彼は紳士ですから、何度もループして二人とも幸せにすると思います。たぶん。
何がいいたいのかというと、ダークファンタジーでありながらハーレムモノの側面もあるリゼロにあって、スバルくんは徹底的に女子を助ける紳士ですが、その行動規範はフィクションを飛び出して、特定世代にも影響を与えるんじゃないか、という話です。
アニメ作品が世代に与える影響
どんな影響かというと、要するに倫理観に影響を与えるんだと思っています。
倫理観というのは、変化するものです。倫理観は、その時代時代の人々の社会的な振る舞いの中で自然と形作られるものになります。それは実生活における人々の行動によって決まる側面もありますが、今の時代は、フィクションの影響も大いにあると思っています。
そして、スバルくんはそんな時代のヒットアニメなので、ある程度の影響力があります。特に男性ファンにとって、スバルくんの絶妙なキャラ設定は、少なからず共感を呼び起こしていると予想しています。
これが阿良々木さんだとちょっと超人すぎるし、キョンは何もしていないし、カズマさんはクズすぎるし、キリトくんはどうもウソっぽいんです。でもスバルくんは、世代のバカっぽい男子にとって、ギリギリ自身を投影できるキャラ設定になっていると思います。
そして、繰り返しますが彼の振る舞いは紳士です。徹底的に苦しんだ先にかならず女子を助ける。そして感謝される。これ、一昔前の作品なら、助けきれずに残酷に斬り捨てるケースもあったんでしょうけど、ことリゼロのスバルくんに関しては、徹底的に女子を守り助けるキャラクターなんですよね。
こういう、オール・オア・ナッシングのキャラクターって結構、時代の倫理観に影響をあたえていると思うんですよね。
実は日本のアニメは常に特定世代の倫理を形作っている
話をちょっと広げますが、実はジブリもそういう側面があると思っています。
僕はジブリアニメというのは、日本人のある一定の年齢以上の男女の、物事や世界に対しての倫理感を強烈に作っていると思っています。例えば、自然と人間は上手く付き合っていかなければいけない、とか、強い女子は美しいとか、一筋縄ではいかない正義の形とか、子どもは元気がいちばんとか、善悪のあるべきかたち等々は、正直、学校の道徳の時間よりよっぽどジブリアニメのほうが影響が強いんじゃないかと思える。幸いにして、ジブリアニメはその根底に、宮崎駿のまっとうな倫理観が根付いているので、変な方向には行きませんでしたが、その影響は計り知れません。
さて、リゼロです。
リゼロのスバルくんの女性に対しての徹底的な尊重意識(やや頭ごなしではあるが)や、のたうち回りながらも正義と公正を選び取ることはカッコいいと思える。ダメな部分もあるけれど「繰り返し試行錯誤して、ちゃんと真っ直ぐに物事を進めれば必ず報われる」という物語は、ある世代に強烈なバイアスをかけていると思っている。
それは良いことなのか悪いことなのか?
それがいいことなのか悪いことなのか?
これには両面あると思っています。良い点としては、女性に対して正義感をもち正しく振る舞うことは良いでしょう。何かに対して繰り返しチャレンジすることだって悪い話ではないですよね。
ですが悪い側面についていえば、例えば実生活は、失敗についてやり直しが効かないことが数多くある。だから、一度失敗したらやり直しが効かないことに絶望してしまうかもしれない。
また現実世界では、エミリアやレムのような美しいものを手にできることは稀で、生きることははしばしば泥臭く、生臭く醜い側面を伴います。そして、昨今ツイッター等を見ているとよく思うのは、やっぱり最近は本当に逃げ場がない。失敗を許さない。
そういう価値観は、ジブリも含めて「美しすぎる数々の物語」が、特定世代に与えた、ちょっとシンドイ影響なのかもしれないな、などとリゼロを見ながら思うことがあります。
ま、考えすぎかもしれませんけどね。