劇場版が大ヒット上映中の鬼滅の刃ですが、その原作者である吾峠呼世晴さんことワニ先生は、未だ謎に包まれています。
ネット上では、身を固めろといわれたから辞めたんだとか、やりきったからもう書かないんだとか、素顔が流出したとか、いろんなゴシップネタが飛び交っております。とりあえず女性であることは作風や絵柄、筆跡から予想されるのですが、どんな人であるのかは謎につつまれたままですよね。
今回は、そんな物議を醸すワニ先生について、作中のキャラクターからその人となりを予想してみたいと思います。
劇中キャラクターのなかに作者の分身がいる
さて、作家にとって物語というのは、作者の分身にあたります。それは物語全体についてもそうですし、そこかしこに現れる倫理観や思想についてもそうです。さらにいうと、劇中登場する人物の中には、自身の気質を反映したキャラクターというのが、かならず存在しており、そのキャラクターを読み解くことで、作者の人となりを推察することが可能です。
主観的な物語の場合、だいたい主人公に作者の性質や気質が混じっていることが多かったりします。しかし、群像劇や作者と性別の違うキャラクターが主人公である場合などは、その限りでは有りません。
鬼滅の刃の竈門炭治郎は男子であることから、作者自身の投影ということはないと思われます。また禰豆子も、そのキャラクター性が理想化されすぎていることから、おそらく先生の性質を反映したものではないと予想されます。
また作者の性質は、複数のキャラクターに分散することもあります。鬼滅の刃においては、おそらく複数のキャラクターに分散されていると、僕は予想しています。
分身は作中において「客観性」と「自由さ」を持つキャラクターに宿る
鬼滅の刃はファンタジー性の強い作品です。それぞれキャラクターが立っており、なかなか現実世界を反映したリアルな人物というのはいませんよね。ぶっちゃけ炭治郎や禰豆子もふくめて、わりと奇人変人ばかりですので・・・・・・。
しかし、そんな中にも幾人か、先生の思想や気質を反映したと思われるキャラクターがいると思っています。作中において、常識を持ち、客観的で、自由さと強さをもつキャラクター、そういうキャラクターがだいたい作者を反映するんですが、女性陣のなかからピックアップすると、候補としては3人ほどでてきます。
胡蝶しのぶ
栗花落カナヲ
甘露寺蜜璃
三人ともまったく違う性質をもったキャラクターにみえますよね。しかし、僕はこの3人が、原作者の性質が分散して宿っていると思っています。一人づつ説明していきますね。
胡蝶しのぶ
まずしのぶさん。彼女は、あげた3人の中で、原作者の気質がもっとも薄いと思うんですが、いちおう候補の一人だと僕は思っています。彼女は劇中で、炭治郎たちを導く女性のひとりとして存在していました。その登場の仕方は、やや掴みどころのない、ともすれば「空気が読めなそうな天然キャラ」として。また「独善的な、ちょっとSっ気のあるキャラクター」として、出てきました。しかし、話が進むにつれて、昔の性格は等身大で異なっていることが判明しました。そして、姉に憧れ、鬼殺隊として責任感をもって、鬼たちに相対していました。
しのぶさんは、原作者の社会的な振る舞いを象徴するキャラクターだと思います。仕事とか、世の中とかに向き合った際に、強くあろうとする女性。つかみどころがないのは、処世術であり警戒のため。裏表が有り、表は仕事に対して前向きな女性。そんなところが、作者の社会性が強く現れていると思います。
胡蝶しのぶは、原作者の社会性が反映されたキャラクターであると予想しています。
栗花落カナヲ
つづいて、栗花落カナヲ。
カナヲも、あまり喋らない掴みどころのないキャラクターでしたね。人当たりの悪さは、胡蝶しのぶに似ています。ドライで感情の起伏がありません。これは、胡蝶しのぶもそうなんですど、おそらく、先生どこかで、他人に感情をあらわにしてみせることは、危険なことである、という感覚があると思うんですよね。この感覚って、まあクリエイターあるあるなんですけど、自分の好きなことを他者に伝えることがリスクなんですよ。馬鹿にされたりいじられたりするので。で、漫画好き少女あるあるの作者の保守的なあり方が、カナヲやしのぶさんの言動にあらわれて、ああいう、変わり者女子キャラになったんだと思っています。
そしてカナヲの特徴は、その純粋さです。鬼殺隊としての取り組み方もそうですし、炭治郎への接し方もそうですが、とにかくピュアですよね。カナヲの振る舞いは、原作者の「少女性」と「純粋」さが投影されたキャラクターだと思っています。
しのぶさんは作者の公的な振る舞いを表し、カナヲは作者の純粋さを表し、さらにいうと原作者との男子との距離感の作り方まで象徴していると思います。女の子、ああいう「掴みどころのない自分」を、しばしば警戒のためにつくりますよねー、しのぶさんとカナヲはよく見ていくと、そのあたりもリアリティがあるなあ、と。
もちろん、ある程度理想化されていると思いますけどね。
甘露寺蜜璃
さて、最後に出てくるのが甘露寺蜜璃です。
僕は実はこの甘露寺蜜璃というキャラクターが、原作者の気質をもっとも色濃く反映したキャラクターだと思っています。ええと、外見ではなくて性質のほうですね。
原作者のクリエイターとして、また女子としての、欲望や性質がとっても色濃く出たキャラクターに思えるのです。
すなわち「自由で」「やや天然で」「恋愛脳」「結婚脳」であり「ちょっと腐女子はいっている」キャラクターです。
作品のなかで、彼女だけがほんとうに、劇中のさまざまな思惑から自由なんです。鬼に執着せず、社会のこともどこ吹く風。呼吸も作中の縛りの範囲におさまらないので、火の呼吸から恋の呼吸を編み出して恋柱になっちゃったり。
彼女の存在は、噂される原作者の引退理由にも繋がります。先生、結婚のために連載を終えたなんて言われていますよね。そして、原作者のなかで重要なのはお嫁さんなんです。さらに、恋に恋い焦がれる女子として、鬼殺隊やその他の男子を見た時の、やや腐女子入った眼差しは、性質云々を飛び越えた、作中のキャラに対するキャラ愛を彷彿とさせます。
甘露寺蜜璃は、原作者の自由さやキャラへの眼差しを反映したキャラクターだと思うんです。
他の女子は違うの?
他にも女子キャラクターいるんですけど、けっこう取ってつけたようなキャラなんですよ。たとえば珠世様は、母性を象徴しますが、作者はまだそんな年じゃないですしね。あと禰豆子は、あれは少年誌のヒロイン性が詰め込まれているほんとうに純粋でクセのない理想化された存在なので、ちょっと作為的なんですよね。そこが、カナヲとの違いです。
もちろん他の女子にも大なり小なり、先生の思想は投影されていると思いますが、やっぱり、胡蝶しのぶ、栗花落カナヲ、甘露寺蜜璃の三名が、作者の性質がもっとも色濃く出た分身だと思うんですよね。
つまり吾峠呼世晴の素顔というのは──
つまり、吾峠呼世晴というのは──
しのぶさんの社会的な振る舞い、カナヲは女子としてのピュアさを、甘露寺蜜璃は自由さを集めて──
それが、ワニになってメガネをかけると、吾峠呼世晴という人物になると僕は思っています。
これ、けっこう正しいと思うんですよねー。