無限列車編で大活躍の煉獄さんですが、とっても人気ですよね。
もちろん男の子や女の子にも人気ですが、実は煉獄さん、一緒に見に行ったお母さんにも人気なんだとか? なぜそんなことになっているのか、今回はその理由について煉獄さんのプロフィールを交えつつ解説します。
煉獄さんって何者なん?
煉獄さんは、皆さんご存知、鬼滅の刃の鬼殺隊における柱の一人ですね。細かなプロフィールは割愛しますが、簡単にいうとダメなオヤジに変わって鬼殺隊に入った柱屈指の実力者の一人です。
燃えるような熱い心と、竹を割ったようなさっぱりした性格が特徴で、初期においては、禰豆子を鬼と断じて滅する事なども口にしていましたが、炭治郎たちの活動にふれる中で、その考えを改める柔軟さも持っている。わりと常識人です。なお、恋柱の甘露寺蜜璃は煉獄の元継子だったりします。
さて、こんな一見すると、それほど特徴的ではない煉獄さんがなぜ人気なのか? いくつかその要因をあげていきます。
強いく優しくかっこいい
映画やマンガを見た範囲だと、人気のベースとなる部分はシンプルですよね。
すなわち、彼は、強く、優しく、かっこいい。多くの男子はこの辺に惹かれるのでしょう。強さはいわずもがな、劇中の敵対者の猗窩座/アカザをして、至高の領域に最も近い柱の一人と言わしめる。そのすさまじい力はアカザすら追い込んでいた。
優しさも言葉の端々に表れます。彼は炭治郎たち若手の実力を的確に分析し、指示をだし、言葉を与えます。さらに自身の継子に迎え入れようとする。それは一方的なように見えて、強要するような素振りはない。
むしろ、向き合った時の姿勢や言葉の正しさ真摯さは、柱キャラ随一なんじゃなかろうか? 富岡さんとか、胡蝶さんとか、若干わかりずらいですもん。富岡さんインキャだしさ。
対して煉獄さんは、そのさっぱりとした姿勢ひっくるめて、全てがかっこいい。外見が映える。赤く黄色く派手なたてがみ、強い目、スッとした姿勢、淀みない声。一見威圧的にみえるんですけどそうでもないキャラクターがかわいくもある。
そういう人として、キャラクターとしての奥深さが魅力なんですよね。
自己犠牲について
それらを踏まえて劇中で煉獄さんがみせた輝きというが、この「自己犠牲」です。
目的のために、もっとも最良な選択肢として、市民をまもり炭治郎たちを守った。その身を賭して。これらの振る舞いの前後は劇中屈指のシーンばかりでした。
でも、煉獄さんの魅力というのは、これが全てではないですよね。何か大事なものが説明として足りていない。それは何でしょうかね?
本質はところはちょっと別にある
煉獄さんの人気というのは、強く優しくかっこいいからだとか、自己犠牲に心打たれたとかいいますけど、本質はそうではないと思っています。
とくに、今回、何故子どもたち以外の親も心奪われたのか?という点については、全く説明しきれていない。これは、よく見ていくと分かると思うんですけど、とてもシンプルな理由だったりするんですよね。
煉獄さんは母の言葉によって自身を律して素晴らしい人物となり運命に立ち向かっています。煉獄さんは亡き母に「人の役に立ちなさい」と言われた。そして、ほんとうにそのとおりに、自身を律して、心が折れた父と、不安を抱える弟を支え、家を切り盛りした。
母の言葉と覚えている母のぬくもりだけを糧に、あれだけの生き様を示してみせたんです。
その親との関わり方を踏まえた一連のプロセスを踏まえた様が、幅広い年齢層に感動と好感をもたらしたってことです。
煉獄さんの本当のお母さんについて
そんな息子を育てた煉獄さんのお母さんというのはじゃあどんな人でしょう?
劇中に、母の顔は出てきます。母の言葉も出てきます。見ての通りの、とっても優しくて強いお母さんですね。あのクズのパパにはもったいないくらいです。
で、かなり理想化されたキャラクターだと思うんですけど、このお母さん像って、本質的には原作者の吾峠呼世晴の願望が投影されていると思うんですよね。
つまり、作者の想像する、ああいう理想的なお母さんがいて、子に対して願いを込めた。その理想的な願いが実現して形になったキャラクターが煉獄さんということだと思うんですよ。
母も理想なら、煉獄さんも理想。重要なのは、そこには吾峠呼世晴の共感を呼ぶ癖のない願望が込められていて、それが多くの人からの共感を勝ち得たってことです。
煉獄さんは、作者の息子なんです。それも作者の考えた最強を身につけた息子。
彼は、最強の柱じゃなくて、最強の息子ってことです。
そうであるから、世の親やお母さんと言った大人たちは心惹かれるんです。