鬼滅の刃〜キャラカップリングに見る耽美の裏に隠された保守の香り

鬼滅の刃
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鬼滅の刃が300億を超えましたね(令和2年12月15日時点)。

これで、この作品は日本のアニメ史や映画史に名を残した訳ですが──なぜこんなにヒットしたのか? 考察は色んな人がしているので、簡単にしておきますが、今回は、それにつながる要点の一つを論じてみたいと思っています。

まずヒットのおさらい

言われている大きなモノは次の通り、

  1. アニメ先行でアニメの質がとんでもなく良かったから爆発的ヒットに繋がったという話。
  2. 鬼退治という日本人なら誰もが知る物語構造に乗っかっている。
  3. 家族愛という非常に共感を得やすいテーマを選んでいる。


これらのことから、大人から子供まで作品が楽しめることで、大ヒットにつながっている。

こんなところだと思います。

さて、今回はこれをもう少し紐解きつつ思う所あって(4)を追加してみたいと思います。

王道カップリングのみで構成された人間関係

鬼滅の刃は、炭治郎と禰豆子が自分たちの安寧を取り戻すための戦いの物語ですが、体裁としては群像劇に近い構成なっています。

それは複数の敵に対して複数の味方が、同時並行的に相対するというジャンプ王道の、ミックスバトルスタイルから見て取れます。

個々人のキャラクターのエピソードについても、掘り下げがよく行われることから、情報量が多く、キャラの関係性も、近年の良作と並び立つ濃密でドラマチックなものとなっています。

この過去回想を多様する濃密な群像構成は、ワンピあたりがスタートだと思いますが、それはおいといて──注目したいのは群像劇における、キャラとキャラの関係です。

鬼滅の刃というのは、斬新な物語のように見えて、その根底に流れる思想や価値観は、私たち日本人にとって馴染みある、古風で保守的なものですよね。

それは、家を大事にする、家族を大事にする、という話だけではありません。キャラクターたちは、一見キチガイじみた振る舞いをしているようにみえて極めてノーマルな価値観でもって他者と関係します。鬼についてはキャラ付けのためにブーストされていますけど、基本的にあらゆるキャラクターの性嗜好や関係性は保守的でノーマルなんです。

炭治郎と禰豆子は兄弟であり、俺妹のように一線を超えることはありません。善逸は、禰豆子を女性として正当に扱います。伊之助もアホなようで、弱きを雑ながらも守ります。鱗滝さんは、年長者として正しく禰豆子を匿い、胡蝶しのぶは年長者たる姉を敬う。時透無一郎は、人ならざる領域から人になることで力を得る。甘露寺蜜璃は、結婚に焦がれる。

他にもいろいろあるんですが、特異な関係性や組み合わせというものというのは、少なくとも、人間側には存在していない。

アブノーマルな作品とノーマルな作品

たとえばハンタのイルミとゴンの関係って意味不明じゃないですか? 極めて変態的な嗜好が見て取れる。ToLOVEるにおける結城リトと女子たちの関係もそう。正直言って意味不明ですよね。男子にとっては夢であっても、女子にとっては意味不明です。ジョジョだって多くのキャラクターがクネクネして、変態的で偏執的で、どうも振る舞いが理解できないし、関係性も良くわからない。もちろん、それらの漫画はそうであるから面白いのですが、同時にアブノーマルな関係を描くことは客層を狭めることに繋がる。

対して、鬼滅はどうか?

一見、偏執的で変態的にみえるような外見をしていながら「徹底的に保守的でノーマル」です。それこそ、最終回の子宝子孫繁栄エンドなんて、保守の極みじゃないですか? あれはあれで反感抱いた人がいたらしいんですが、多数の同意を得るのに十分な終わり方です。

根底に流れるノーマルな人間関係。これが鬼滅の刃を「子供にも見せてもいいかな」に繋がっている。このノーマルさってジブリにもあるんですけど、例えばエヴァにはないんですよ。エヴァは、アブノーマルなんで親子で見に行けないんです。だからヒットに限界がある。千と千尋は、あれは親子のための作品ですよね。親が子供に見せたいと思える構造を盛っている。鬼滅の刃は、それに近いノーマルさがある物語なんですよ。

家族テーマ云々というより、ノーマルな関係性を描いた事がヒットの分かれ目だと思っている。家族がテーマといったら山本直樹のありがとうだってそうなんだから(極端な意見)。

なぜノーマルなのか?

何故ノーマルなのか? それは作者がそうだから、としか言えないんですけど、鬼滅の終わり方についての一つの噂話から、その一端を垣間見ることが出来ますよね。作者「結婚のために連載を辞めた」んじゃないかって話です。しかも、それを身内から「いつまでも漫画をかいていないで身を固めなさい」と言われたとか?

噂でしかないですけど、極めて保守的な理由ですよね。そういう人が物語をつうるとどうなるのかという事例が鬼滅の刃なんだと思います。

さらにいうと、これは主要キャラクターからも見て取れます。

僕は常々、作品内には作者の人格を最も濃く投影したキャラクターというのが存在すると思っているんですが、鬼滅の刃における作者の代弁者って、たぶん「甘露寺蜜璃」だと思うんですよね。

彼女は恋愛脳で結婚脳で、しかも腐女子入ってますよね。柱や炭治郎を愛おしい目で見ている。やや天然で、かわいい。あれは作者の反映じゃないかと思っています。もちろん勝手な思い込みかもしれませんが、このあたりの話は別のところでもまとめたいと思います。

保守的カップリングに耽美を両立させた物語

さて話をもどします。

ヒット要因の(4)として、キャラクターどおしのカップリングが極めて保守的でノーマルな関係性であること、を上げたいと思っています。

作中キャラクターが、互いに、また世界に対して極めてノーマルな関係性や組み合わせを持ちながら、醜いもの美しものを両建てて解説したのが、鬼滅の刃の凄いところだと思っています。普通につくったら、これアブノーマルな関係性にしかならないというのに。

原作者は、鬼や柱に奇抜さや醜さを付与させました。しかし、そのキャラクターたちと、外部との組み合わせや関係性は極めてノーマルであるとして、そこまでの道筋を描いてみせた。それを愛しいものとして描いてみせた。

美しいだけでなく、醜いだけでもなく、普通であることを第一としてみせた。それが、鬼滅を無二のものにしたと思っています。

(4)耽美で異形なものをノーマルな関係性で描いて見せて多くの人に届いた。

と。

鬼滅のその後

さて、鬼滅の刃は劇場版が一段落すると、またアニメシリーズが再開することが予想されます。恐らくなんですけど、クライマックスはまた劇場版にするとおもうんですけどね。全体としては五部作とかで作り直すんじゃなかろーか。

鬼滅の刃はコミックはおわりましたが、映像はまだ終わっていない。そんな、耽美で保守的でノーマルなキャラクター群像が堪能できる鬼滅の刃、引き続き楽しみですね。