鬼滅の刃、もう数ヶ月前にコミックのほうは人気絶頂期にもかかわらず終わっちゃいましたね。これは色々な所で言われていたとおり、作者と編集部との約束で既定路線らしいですね。しかし一方で、「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」の上映が10月17日から予定されており、そのブームはまだしばらく続きそうです。それから、これだけヒットしたコミック&アニメですから、間違いなくそれ以降の続篇についてもアニメ化がされることでしょう。
さて、そんな鬼滅の刃ですが、同ブログ立ち上げ前だったこともあり、いままで一切触れてきませんでした。ここで、おさらいを兼ねて、ブーム&ヒットの理由を整理解説したいと思います。
筆者が考えるヒット要点は大きく6点──他でも言われている話の焼き直しもありますが、とりあえず今回は以下のとおりです。
1.アニメの高クオリティがヒットにつながった
鬼滅の刃というのは、正直アニメ化前までは、知らない人の方が多かったのではないでしょうか? ジャンプで連載はされていましたが、そのクセのある作風でもって、どちらかというとマイナー扱いでした。
アニメ化された当初はどうでしょう? 私の第一印象としては「変わり種が来たな?」という感想でした。しかし、これが蓋を開けてみたらとんでもなく質が高かった。
正直な所、鬼滅の刃の前半──炭治郎が鬼殺隊に入る前までは、わりと惰性ですよね。地味で淡々としていて、アクションの華やかさもそんなにありませんでした。しかし、炭治郎が鬼殺隊として活動をし始める頃から、そのイメージは一新されます。奥深い設定、人々の細やかな情緒、魅力的なキャラクター、アクション、そしてそれらがハイレベルに融合した良質なアニメになっていました。
アニメ化によって鬼滅の刃に火がついて、コミックその他のセールスに繋がったことは、皆さんも御存知の通りかと思います。
2.耽美な世界を説得力ある表現で描ききった
筆者は和モノというのは、その性質上、コミックやアニメ等フィクションに取り込むのが非常に難しい世界観だと思っています。和風世界というのは、なまじ僕らが時代劇等で「あるべき姿」を知っていることから、嘘にみえたりチープに見えたりしてしまうんです。ブリーチやるろうに剣心は良い作品ですが、ギリギリでしたね。ナルトは開き直って別世界を作り込みました。和風世界というのは、そこに縛られてしまうと、作品が逆に自由度を失います。ナルトはそこを全く違う世界とすることで突破してみせました。しかし和モノではなくなっちゃっていますけどね。
つまり和モノ世界というのは、コンテンツの中身の説得力と、斬新さをどうバランスよく保つのか、そのあたりの選択が非常に難しい世界観なのです。
そんな中にあってこの鬼滅の刃は「100点」ともいえるほどの、すばらしく説得力のある世界観を構築してみせました。主な時間軸を大正という「日本人にとって曖昧かつ雑多な時代」に設定しました。この大正というのは、大正ロマンというくらいですから、日本人にとってノスタルジーを含む時代です。その理由は一点に集約します。大正という時代は、実は第二次大戦の戦火によって、具体的なランドマーク等が多くが失われてしまっているんです。日本というのは第二次大戦で一度リセットされています。つまりはリセット前の大正時代というのは、お話の中にしか存在しない世界なんです。加えて、鬼滅の刃は江戸時代でもないので、和風世界の「あるべき姿」からの束縛からもある程度自由でもありました。
鬼滅の刃は、現代人にとって曖昧で不可思議な大正という時代に、「鬼殺隊」という、ギリギリありえたかもしれない裏世界の組織を作り鬼と戦わせることで、物語の説得力を担保したのです。
もちろん、それらを表現するギミックやディティールも抜かり有りません。作者は、和モノへの造詣がとても深く、衣類や刀剣、家屋、風俗その他に、ふんだんに古き良き日本のモチーフを取り込んでいます。これが、るろうにやブリーチだと──そこまでこだわって描いてないですよね。むしろ都合の良い創作アレンジすら加えられている。他方、鬼滅作者の異様なまでの和モノモチーフや耽美的世界への愛情は、世界観を無二なものとして輝かせることに寄与しています。
3.和風アクションの目新しさ
そこにアクションが加わります。
コミックのほうは「止め絵」であることから、その全ては描いていませんが、例えば善逸の一の型のときの抜刀スタイルなどは、絵でもその緊張感や躍動が伝わってきます。炭治郎の諸々の水の呼吸等も、ダイナミックで素晴らしい。見栄を切った歌舞伎のようなスタイルが、花札のような一枚絵になっており、それが作者の和風センスも加わって、非常に迫力ある絵面になっています。こういう絵柄はイラストではありますが、物語を伴うコミック、それも和風世界のものではあまり観たことが有りませんでした。
さらにこれらは、アニメーションになることでハイクオリティで迫力のあるアクションに昇華されました。アクション漫画&アニメは数ありますが、鬼滅の刃ほど絵的に楽しくオリジナリティのあるアクションは、あまり例がありません。
この世界観を繁栄したアクションは、多くの視聴者を魅了し、それこそ小さな子が真似るくらいファンを生み出しました。ドラゴンボールのかめはめ波や、ワンピースのゴムゴムのバレット、るろうにの牙突や、ダイのアバンストラッシュでもいいですが、子どもが真似したくなる、印象でオリジナリティあるアクション、というのは、ヒットの取っ掛かりになるものです。
4.様々な魅力あるキャラクター
続いてキャラクターについて。言わずもがなではありますが、鬼滅の刃には魅力的なキャラクターが数多く揃っています。
炭治郎はもとより、禰豆子、善逸、伊之助、カナヲ、富岡さん、しのぶさん等々(面倒なので諸々割愛)──とにかく、様々なキャラが出てきますが、そのどれもがバックボーンが確りとしており、存在感があります。
ワンピースとかもそうなんですけど、キャラの魅力というのは、視聴者&読者に対して、どれだけその人物のバックボーンを掘り下げ&確りと紹介してみせるかどうかで決まってきます。ワンピースの人物が魅力的なのは、あの破天荒な振る舞いによってではなく、それぞれが過去を持ち、その過去に基づいて今がある、という筋の通ったロジックでキャラクターが存在していることによります。
そして、鬼滅の刃の各々のキャラクターも、確りと「経緯」を描くことで、ここぞという時に、衝撃的なドラマを生み出すことに成功しています。「その判断に至るには、どれだけの苦難があったのだろう?」 そういうキャラクターの心情を想像させる奥深さが、鬼滅のキャラクターの全てに揃っています。
さらに、そのキャラクターの特徴というのは物語の動きにも大きく関わります。炭治郎は真っ直ぐな性格だからこそ、物事を進める事が出来きました。善逸はあのキャラクターだから生き残った。伊之助もしかり。一方で幾人かの人物は「そうであるがゆえに」死すべき運命にありました。それぞれの有るべき理由、滅するべき理由は、キャラクターが持つバックボーンとセットです。
これをブレずに確りとやりきったことで鬼滅のキャラクターを魅力的なものとなりました。そして、見るものを惹きつけました。
4.鬼にもドラマがある
さらに、もう一つ。
もちろん、ドラマを持っているのは、鬼殺隊等の主人公側だけではありません。
鬼滅の刃では、鬼たちもドラマを抱えていました。敵キャラクターがバックボーンをもっていることは、物語では珍しいことでは有りませんが、鬼滅の刃は、鬼たちの物語をかなり丁寧に作ていました。どの鬼にも過去があり、理由がありました。
鬼滅の刃は、ここに特徴的な構造があります。通常、物語のキャラクターというのは悪に落ちるのであれば悪になる理由とセットだったりします。しかし鬼滅の鬼は、必ずしも本人が望んでなった訳ではないんですよね。むしろ、殆どの場合で、我らが鬼舞辻無惨さまによって、むりやり鬼にさせられている。鬼であることと、その人がもつバックボーンは、必ずしも直接的な因果関係を持っていないんです。
これが物語に何を生み出すのかというと──鬼滅の刃全般に漂う有る種の「無常観」を表すのに一役買っています。人の生死と、人の願望や欲望、善悪は別物で、それらは時としてまったくコントロールできない、残酷なものであるとしているのです。
劇中、炭治郎は多くの鬼を殺します。当初こそ、炭治郎はその甘さでもって、鬼への攻撃をためらうことが有りましたが、以後はそんな事もなく、とにかく自身が生きる為、禰豆子の為に鬼を滅して回ります。
その時、殺られた鬼たちは、それぞれ過去を思い返しますが、それについて、炭治郎はほとんど関わりません。気づいてすらいない。ちょっとは気遣えよ、と思える過去をもった鬼もいましたが、スルーです。その鬼がかつてどんな人物であったか知っているのは、実は視聴者&読者だけだったりするんですよね。実はこれ、立ち場が違うだけで、鬼滅隊も同じ描かれ方になっています。
劇中、鬼殺隊の過去も描かれます。それぞれの行動動機として過去は存在していますが、彼らは自分の事を仲間にあまり語ったりしません。鬼も鬼殺隊も抱えるドラマは完全に独立していて、ただ出会ったその時に、互いの事情で交錯しています。「俺がこうしているのはコレコレこういう事情があるんだ!」なんて恥ずかしいこと言わないんです(ワンピだと結構語りはじめますよね)。
これを徹底的にドラマとしてやることで、鬼滅の刃は見るものの強烈な印象を抱かせたと思っています。
5.鬼舞辻無惨様という存在
さらに、鬼舞辻無惨様という存在。
鬼舞辻無惨様は、視聴者や読者にしてみれば「まったく理解できない存在」として描いています。あのキャラの濃さを前にしたら、鬼たちが、鬼殺隊のメンバーたちが、可愛く思えます。鬼舞辻無惨様は、有る種の神です。鬼も鬼殺隊も、神域に身を置く鬼舞辻無惨様にとっては、下々の者たちの些事だったりします。
これは、登場するキャラクターたちの儚さをいっそう際立たせていると思っています。
多くのフィクションにおいてボスキャラというのは、少なからず部下や相対する主人公たちとウェットな関係を抱くと思うんですが、鬼舞辻無惨様は徹底的にドライですよね。ゴミ扱いです。それは彼が善悪を超越した完全無欠の存在であることの所作でもありますが、これ劇中で本人いってますけど「天災」なんですよね。対して翻弄さるのが、一般人と鬼と鬼殺隊ですが──鬼は鬼殺隊の立ち場違いなんです。「天災」に準じた者と、「天災」に抗うもの。その戦いなんだと自ら説明しちゃってくれてます。
これは、理解が進むに連れ、近年まれに見る、突き抜けたキャラクター設定だと思いました。「天災」に人格を与えるとこうなるのか。「天災」がしゃべるとこうなるのか。まったく人の生死や営みとは相容れない存在。このキャラクターをラスボスに設定した作者の才覚はすばらしいものがあります。
炭治郎を始めとする鬼殺隊、そして鬼、さらにそれらを翻弄する鬼舞辻無惨様。これが、あの世界観と描写に組み込まれることで、奇跡的なまでのクオリティーを発揮したことは、間違いなくヒットの要因でしょう。
6.日本人の心情変化に応えた
最後にもう一つ。
筆者は、作品のヒットには「オリジナリティ」「思想」「時代性」というのが不可欠だとおもっているんですが──この中で、オリジナリティというのは1〜5で説明した内容にあたります。では、思想と時代性というのはなんでしょうか?
最近までのジャンプ漫画のヒット作にはある特徴がありました。これは、ジャンプの定番の3軸「友情」「努力」「勝利」ですね。ワンピなどは、まさにそれですよね。
特に、時代性やコミュニティ的な側面でいうと、ワンピは友情──「血縁関係のない、ある過去を抱えた者たちが集まって何かを成す」という所にスポットが当てられています。これはワンピがヒットした理由にもつながるんです。そもそもワンピは任侠ものをベースにしているのは、ご存じの方も多いと思います。任侠ものというのは、ヤクザモノのもう一時代前、清水次郎長という古い時代劇にもあるような旧ヤクザものですね。そこに有るのは「義理」と「人情」です。
これを現代にアレンジしたとき、ワンピ世代である今の社会を構成する30代〜40代をとっかかりにして、その下の層も含め、非常に多くの層から共感を得ることに成功した。つまり「仲間たちと集まって新しい時代を作るんだ」という考えですね。筆者の知り合いの若き社長にも、ワンピ愛読者がいますが、麦わら海賊団はそういうベンチャーマインドと相性が良い。さらにもう一つ言うと、任侠ものですから、ヤンキーめいた層にも受け入れられた。ワンピのヒットは、クオリティもそうですが、なによりもその守備範囲の広さと、新たな未来を望む時代性が合致したことにあると思っています。
で、鬼滅の刃ですが、こっちは「友情」「努力」「勝利」とはちょっと違いますよね? 鬼滅の刃は任侠でも義理人情でもありません。友情も努力も勝利も無いわけではありませんが、ワンピほど濃いとは思えない。鬼殺隊はけっこう負けていますし、鬼を倒しても鬼の元になった人は救われていなかったりします。努力はしても双方届かず報われないことも多々ある、鬼殺隊も鬼たちもどんどん疲弊して潰し合って消えていきます。このままだと、「友情」も「努力」も「勝利」もなされない、物語になってしまいます。
しかし、どうもそこには何か確りとした別の軸がある気がする。それはなんだろう?
それは「家族」ですよね。
炭治郎と禰豆子は兄妹ですが、禰豆子は鬼殺隊の善逸や伊之助との小さな集まりに、家族的なものを見出します。また、鬼たちも家族を求めるものが有り、親子、兄弟、姉妹、そういったものが数多く出てきます。鬼舞辻無惨様ですら、疑似家族を持っていたりします。
鬼滅の刃はその根底の哲学に「家族」「家族的なもの」を置いていますよね。そして面白いことに、この家族という単位は、ほんの数年前までうっとおしいものとして扱われていました。脱大家族化が進んだ結果としてのワンピの友情をベースにした成功へのチャレンジがヒットしたはずなんですが──しかし、ここへきてまた物語へのニーズが家族的なものに戻ってきている。
鬼滅の刃の最終巻が発売されたのは5月18日ですね。時期的にはコロナ真っ盛りです。行き先の見えない不安の只中に世界中が陥っていました。さらにそれより前になると、昨年は風水害が多くあり、また昨今は地震や津波も脅威の一つとなっています。さらに不況の影響は未だに続いており、経済的にも伸び悩んでいる。
そもそも、その発端は東日本大震災ですよね。あれがあったせいで、一時期「シン・ゴジラ」「君の名は」という、それぞれ世代を象徴するアンサーコンテンツが出てきました。「シン・ゴジラ」は危機的状況にあっても知恵をつくして仲間とあたれば対処できる、という思想です。君の名は、危機的状況にあっても愛を穿けば誰かを救うことが出来るんだ、という思想です(君の名は、は細かくは他にもあるんですけど割愛)。が、その2つがフォローしていないものとして、実は「家族」という忘れられていた人の集まりの最小単位がありました。
不安はびこる時代にあって、よく考えたら最も一番最初に頼るべき単位は「家族」なんです。そして、多くの人々は、震災から今に至るまで、家族の絆を求めていて「鬼滅の刃」はそのニーズにドンピシャで応えたと思っています。
つまり「天災によって、無情にも家族が死んでも、生き残った者たちが繋がって、新たに家族を作って生きていくんだ」という思想。これはね、震災後の僕らにとって強烈なメッセージですよ。
鬼滅の刃というのは、斬新な世界感×アクション×キャラクター×ドラマを「家族」という単位をベースに描いてみせたことで、今の時代の多くの人を取り込んだと思っています。これが、僕の考えるヒットの要因です。他にもこまごまとしたものは有ると思いますが、概ねこの5+1に収まるんじゃないかな、と。
さて、そんな家族が求められる時代は今も続いています。コロナは終わらず、オリンピックは流れ、小さな苦難は今も積み上がっています。そんな時代にあって、鬼滅の刃描く家族的なものへのニーズは、今しばらく続くことになるんじゃないかな、と思っています。
追記21年2月1日:ヒットの要因だけでない、シンドさみたいなものを書いた記事も用意しました。褒めるばかりではない話もちょろっとしています。