CUREDキュアード〜コロナ時代にゾンビ化からの回復映画が重なる偶然

洋画・邦画
この記事は約5分で読めます。
スポンサーリンク

先日、緊急事態宣言解除後、初の映画鑑賞に行ってきました。

見てきたのはCURED キュアードという、ゾンビ映画。

CURED キュアード』(原題:The Cured)は2017年に公開された合作のホラー映画である。監督はデヴィッド・フレイン、主演はエレン・ペイジが務めた。なお、本作はフレインの映画監督デビュー作である。

先に大まかな設定やストーリーを言ってしまうと、パンデミックによって人類がゾンビ化ウィルスに侵された世界のその後の物語、といったところです。ゾンビというのは、死んでからなるものや、感染して凶暴化するものなど、いくつか種類があると思うんですか、このキュアードに出てくるゾンビは、28日後等にみられる、感染してなるタイプで、更にそこから回復が可能になっている、という設定。

ストーリーとしては、キュアードのタイトルのとおり、一度ゾンビ化してそこから復帰した主人公らと、その近親者、周辺の人々、そして国家共同体等との、衝突や葛藤の物語です。

ゾンビ映画というのは、ジョージAロメロの時代から今に至るまで、ずっと人気があるジャンルなんですけども、基本的には設定と目新しさをどう出すのか?という要求がつねにあって、それに応えられそうな切り口をもったものだけが、映画化されてきた歴史が有ると思います。 そういうなかで、ゾンビからの回復、というのは、あたらしい切り口になり得たということだと思います。

話だけ聞いてしまうと「ふーん」といった感じがしないでもないですが、映画評が★3.5前後と、概ね好評な映画となっております。見てきた感想としましては、端的に行って「ちゃんと作ってある」「よく出来ている」という印象で、十分満足できるものでした。

しかし、この映画の重要な点は、今となっては実は「ゾンビ映画として面白いのか?」というところでは無いところにあったりもします。 それは、日本でこの映画が発表されたのが偶然2020年初頭──世界中がコロナパンデミックに見舞われているその前後であったということです。

この映画は、映画内の設定や事件を示唆するかのように、コロナパンデミックの騒動と、その回復時期に、ちょうどかぶる作品になってしまった。

制作時期は2017年ですから、それは全くの偶然だと思います。しかし、同時期に放映されたことで、ちょっと意味を変えてしまった。タイミングが良いとも言えるし、悪いとも言えます。

そして、見てきた感想として、最終的にどうしても考えてしまうのが、実際に我々が経験した、パンデミックとの、違いや類似点なんですよね。そこには、やっぱりゾンビ映画としてよく実現していると思える箇所もあれば、エンターテイメント前提としたフィクションとして、どうしてもズレてしまっている箇所や違和感を感じるところもありました。

実際のコロナ騒動との類似点については、ゾンビ化した人類は隔離されて治療をうけることになるんですけど、やっぱりそれは差別の対象になる訳なんですよね。コロナ感染者やその可能性があった人々が、時に排斥されたように、彼らも排斥されることになる。そして、非感染市民たちは、常に感染の不安やパンデミックの不安に向き合って生活している。  物語上では、隔離施設は国連と国軍の管理下にあります。実際にはそこまで極端な管理体制ではありませんでしたが、映画上は国境封鎖もされており、そこは、実際に我々が世界で見てきたものと同じでした。

異なっているな、と思われる箇所はですね、インターネット上の予告等にもありますが、排斥されたゾンビ感染者たちが、暴動を主導して、テロリズムに走るんですよね。 現実世界でのコロナ感染者は、まあ出戻りはしましたけれど、風邪の延長ってことで処理されて再びなんとか日常にもどるんですが、この映画内のゾンビ化した人たちは、旧人類と新人類という関係性になってしまい、回復者というグループを作って、旧来の非感染者に対抗してゆくことになる。

これは、コロナ後の我々の世界を見ると、群衆の暴徒化という方向にはいかなかった。ただ、現在を見ると、そうではない全く違うところで、同じようにあるグループが出来て、暴動は発生している。 アメリカの病理、つい先ごろミネアポリスの黒人死亡事件から発展した人種差別に関する一連の騒動です。

コロナパンデミックが直接要因ではありませんが、人種差別を浮き彫りにしてしまったという意味では、コロナパンデミックは、その遠縁であったことは想像に固くありません。 そして、これについてもキュアードは、その作品内で示唆していたことになります。これもちょっとびっくりだな、と思いました。

そうやって、数々の偶然によって、現実世界を示唆することになってしまったキュアードという作品は、本当に稀有なものだと思います。 一点、残念なことがあるとすれば──制作時に「そんなことは起きるわけがない」という、前提に立っているので、物語がどうしても旧来のゾンビモノの延長になって、個人の葛藤とエンタメ展開に終始していたことですね。  これがコロナの一連の騒動を見たあとであったなら、製作者はもっとリアリティのあるメッセージを忍び込ませたんじゃないかと思えます。 そういう意味では、よく出来ているがゆえに、現実と乖離してしまったのが残念だと思いました。

それから、見ていて面白いな、と思ったのは欧米のデモや暴動文化ですよね。これはもう、本当に今起こっている出来事にそっくりなんです。  日本人にとってデモや暴動はもはや馴染みのないものですから、こんなにリアルにつくれない。しかし向こうでは、デモはあたりまえとしてまずあって、それは暴動にまで地続きでつながっている。そういう認識が無意識に有るんだと思うんです。それを丁寧に積み上げると、ちゃんと暴動やテロリズムの描写を描くことが出来てしまう。

要するに無秩序で無制限な暴徒となった市民の姿は、ゾンビそのものってことなんですよね。つまり、ゾンビとは彼ら自身が抱える恐れている何かが具現化したものなんだろうなと、劇中のリアルな暴動やゾンビたちの暴走を見ていて思いました。

彼らが何を恐れ、分断からどう回復しようとするのか? それは、単なるゾンビ物語としてだけでなく、日本人には馴染みのない視点を与えるものとして、とても興味深かったです。

ソフト化の際には、ぜひ見てみてください。