体操ザムライをつまらないと言ってしまうアニメ視聴者層がいることのヤバさ

体操ザムライ
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体操ザムライが賛否あるようです。

ごめんなさい、若干ウソをつきました。体操ザムライについてのアクセスが私のブログにもちらほらあるのですが、それに余計なキーワードがついていていですね「体操ザムライ+つまらない」で飛んでくるんですよ。

先に行ってしまうと、私はこの作品嫌いじゃないんですよね。ああ、この言い方自体奥歯に物が詰まっているような言い方になっていますが──どういうことかというと、脚本家さんが村越繁さんというゾンビランドサガの人なんですけど、この人、シリアスとコメディをどっちもやれちゃうシナリオライターさんで、しかもドラマづくりが、めちゃくちゃうまいんですよ。それが体操ザムライにもしっかりと現れていて面白い。

でもまあ僕の言う、体操ザムライって世の一般の方々がアニメに対して言う「おもしろい」とは、ちょっと違いますよね。

昨今のアニメ傾向

今の時代は、アニメはけっこう型にはめられていると思っています。求められるのは萌えであり、燃えであり、エモであり──平たく言うと、リアルに寄った人の繊細なところを描いたドラマよりも、永遠の青春であり若さであり誇張された感情が求められる時代なんですよね(平たく言えてねえ)。

で、この体操ザムライというのは、どちらかというと、ファミリーコメディというリアルな実写のドラマに近い構成になっていて(ちょっとクドカンぽくもある)、それをアニメでわざわざやってしまっていることから、人によってはアニメ感が薄いんで、あまり入り込めない。これは僕たちの求めているアニメじゃないゾと。

いちおう、たぶんレオと主人公の城太郎、南野哲夫あたりは女子ウケを狙ったキャラクター構成だと思われるので、裏では結構楽しんでいる女性層もいるんじゃないかな、なんて思っていますがそれはまあ別の話です。いずれにせよ、昨今のトレンドからいえば亜流になってしまっているきらいがあります。実写も含むドラマでいったら、ファミリーコメディは王道であるのにも関わらず。

物語の役割

さて、僕は「体操ザムライ」がつまらないと評されるのは、アニメ市場に対する視聴層の視野の狭さであり願望の狭さだと思うんですよね。それが、若年層ならいいんです。だって若年層は、まだ現実よりも夢を見ることの方が多いのが当たり前なんですから。

ですが、20代の後半以降の視聴者がこれをシンプルに「つまらない」というのは、ちょっとそう判断してしまうことについて一考をする必要があると思うのです。

そもそも、異世界転生モノが流行るというのは、現代における極楽浄土信仰であるからだ、なんてようなことが言われていますよね。僕はこれは結構当たっているとおもっていて、要するにアニメは夢なのでしょう。つまり現代はそれだけ、辛いってことですよね。現実の世界がつらいのに「体操ザムライ」のような、良い娘がいて、先生がいて、後輩たちにかこまれた城太郎は、リアルでいったら夢や憧れの対象ではなくて嫉妬の対象です。現実の幸せとそうでない自身を思い起こさせる悪しき物語になってしまう。そんなもの見せるな、と。

そういうふうに判断することは悪いことではありません。しょうがないですもの。むしろヤバいのは、そういニーズを生み出してしまっている今の閉塞した時代ですよね。アニメ世界と現実の厳しさとの乖離がすごいんで、夢を見させてくれないモノに対しての拒絶反応も、いたしかたがないというものです。

でも、本当にそれでいいのか? 物語は癒やしや逃避だけでいいのか?

というか、体操ザムライのようなリアルよりのドラマを描くアニメ作品は、そういう時代に役立つことは本当にできないのか?

4話に見るドラマの底力

4話「ザムライ娘」で城太郎の娘荒垣玲のエピソードが入ってきました。荒垣玲=レイチェルは、天真爛漫そうにみえて、実は母を失った悲しみに立ち向かい、父親である城太郎を邪魔すること無く、強くあろうと日々暮らしていることが判明しました。荒垣玲は母の墓前にてレオの言う母のようという言葉に対して、自虐的に悲しげに全然とどいていないと吐き捨てます。

レオナルドはそういう荒垣玲の振る舞いを傍らで見ていて、なにか出来ることはないかと奮闘する訳です。逸話としては同級生の男子に日々からかわれているレイチェルを励まそうと、仲立ちをする訳ですが──その行いはどうもちぐはぐで、荒垣玲の怒りを買ってしまうのです。

しかし、同時に絶妙にシリアスとコメディがまぜられた4話のシナリオは、レイチェルとレオナルドの二人を介して「一筋縄ではいかない現実生活」の中の「ささやかな可笑しみ」と「新しい日々」に、物語のなかでリーチしてみせる。

鬱屈した感情を抱え込んでいた荒垣玲は子供らしく感情を爆発させることですっきりとした。わだかまりの全てが無くなったわではない。お母さんはもういない。でも、レイチェルには今レオたちがいて、気難しい顔をして下を向くのではなく前を向くことができた。そして4話の最後で、喧嘩した同級生の男子たちに普段と変わらぬ「おはよう」を言ってのけた。

これシナリオ的にも超繊細ですげーとおもったんですが──単純に4話のお話、ちょっと心が暖かくなって生きる力に繋がったりしませんか? ぼくはああいうドラマの瞬間にこそ、一つの可能性があると思うのです。

ちゃんと作られたドラマというのは、視聴者が実生活に立ち向かおうとしている限り、幾つもの示唆に飛んだメッセージを投げかけます。感情を刺激し、後押しするギミックが仕込まれています。そういうものの役割は、朝ドラとか渡る世間みたいなもので行われることが一般的なのでしょうが、アニメ視聴者の高年齢感が進んでいる昨今、アニメにもこういうお話があったっていいんじゃないかな、と思うのです。

ねえ?そうおもいません?

え、思わない?

それすらももう面倒くさいの? そもそも、僕が何言っているかわからないって? やっぱりつまらないものはつまらないって? ヤベえなそれ。

しょうがないなー、じゃあ──「魔王城でおやすみ」がいかに面白くて癒やされて心暖まるヤバい物語か、っていう話でもしよっか? (ヒドイ記事の終わり方)。

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