呪術廻戦考察〜存在しない記憶ってもしかして◯◯じゃないの?

呪術廻戦

今回は、呪術廻戦において巷で言われている虎杖悠二の能力「存在しない記憶」について、一つ感じていることがあるので、まとめてみたいと思います。

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存在しない記憶とはなにか?

まず、話の前提となる虎杖悠二の能力である(とされている)「存在しない記憶」について、軽く前提を共有したいと思います。

存在しない記憶というのは、呪術廻戦劇中において、虎杖悠二が2回ほど発動している、劇中における「架空の幸せ描写」になります。

具体的には以下の通り。

1回目は、京都校との交流戦の中で、東堂葵と一緒にいる時に発生した、東堂との学生生活の記憶です。これは当時、相手が葵だったこともあり、葵の妄想だったのではないかとスルーされました。

(C)芥見下々/集英社

しかし同じことがもう一度起こります。

2回目は、虎杖と呪霊である脹相(ちょうそう)との戦闘時です。虎杖を追い込んだ脹相の脳裏に、脹相が壊相、血塗、虎杖、その他九相図の亡骸たちと共に食事をしながら談笑するという記憶が流れ込み、混乱を引き起こしています。

(C)芥見下々/集英社

特徴としては、東堂にせよ脹相にせよ、これを発動したものは、虎杖のことを親しい相手だと思ってしまうところにあります。また、この事象については宿儺も「?」マークを浮かべており、これは宿儺の能力ではなく、虎杖に由来する事象であろうと予想されています。

存在しない記憶の一般的な考察

この「存在しない記憶」ですが、一般的には、敵に対して自分にとっての都合の良い記憶を流して洗脳するバランスブレイカー的な能力である、という事が言われています。

また、存在しない記憶には、祖父の遺言が関連しているとも言われています。祖父の遺言は「人を助けろ」「大勢に囲まれて死ね」と言われていますが、それを表すかのような幸せな事象が起きていました。

関連して「友人を作るために、記憶操作をする力が生まれた」とか「じいちゃんの遺言が呪いなんじゃないか」とか、「命の危機に発動するのでは?」等言われています。

なかなかに説得力があります。とくに「大勢に囲まれて死ね」は、現時点で脹相が身内化したことからも見事に言い当てていると思えます。このまま能力を発動しつづけたら、劇中の全てのキャラが虎杖を身内だと思ってハッピーエンドにたどりつくまで、ありそうです(ないか)。

しかし、一方で原作者の芥見下々は「存在しない記憶」が虎杖の能力かどうかについては、インタビュー時に言明を避けています。おそらく虎杖に関連はしているのでしょうけど、虎杖の能力かというとそうではない、という話なのかもしれません。

呪術廻戦】作者「呪術っぽいの描きます!」 : ねいろ速報さん
(C)芥見下々/集英社

明らかに「何か理由がある」のですが、濁されているという状況があります。そして、私自身は、上記考察に加えて、もういくつか意図があるんじゃないかと思っています。

存在しない記憶の意図する所は?

さて、私は呪術廻戦を見ていて非常に気になっていることが一つあります。

それは呪術廻戦は、何故「呪い」というネガティブな情動のみを扱っているのか?という所です。

呪術廻戦は、物語のあらゆる場面において、事あるごとに「呪い」という用語や事象を取り上げて扱っています。それはとてもネガティブで恐ろしく、そして力があり、仕組みとしては納得感のあるものです。

ですが、一方でずっと気になっているのが、呪いというのはネガティブな言い方ですが、それに対してポジティブなものというのは無いのだろうか?とうあたりです。

人には例えばポジティブな要素として、「願い」という情動がありますよね。現実社会においては「願い」は人が生きるために必須の感情で、呪いに匹敵するくらい力をもった情動です。

(C)芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

しかし、呪術廻戦は、劇中において、この「願い」に類するポジ要素を、明確に「呪い」と絡めて言及したことは、記憶している限り無いんですよね。

ここで私が思うのは、芥見下々先生は「呪い」と対になる「願い」やそれに関連するポジティブな要素をわざと隠蔽しているんじゃないかってことです。

──劇中において、それを「願い」というのかどうかは分かりませんが、少なくとも、呪い=ネガティブに対する何がしかのポジティブな要素はふせられているように思えるんです。だって、あれだけ呪いについて考え尽くして設定をしているのだから「呪いに対抗できるポジ要素」について、設定として思い至らないはずがないと思うんですよ。

ではもし、劇中に「願い」に当たるポジ要素があったとしたらどうなるのか?

──実は「存在しない記憶」というのは、その呪いに対抗することができる「願い=ポジ要素」なんじゃないかと思うんですよね。

存在しない記憶は呪いに対抗する「願い/ポジ要素」である?

そうすると色々と説明がつくんです。

葵や脹相が虎杖に心を許したのは、呪いの反転の結果だと思うんですよ。そうであれば、あの幸せな風景というのは納得が行くんです。あれは、幼少時から孤独で理解者の得られなかった葵や、人になれなかった脹相の「願い」が、虎杖という存在に喚起されて膨らんだ結果なんじゃないかと。

芥見先生はそれは虎杖の能力ではない、と言っていました。であれば、おそらく伏黒や釘崎を含むあらゆる人々が持つ能力なのかもしれません。ただ、現状でいうと虎杖だけがその力と関われるというだけかもしれません。

また「存在しない記憶」が「呪い」に対する「願い」であるとするならば、虎杖というキャラクターにも、説明が付きます。

パンダも指摘しているとおり、虎杖は根っからの「ネアカ」で「陽キャ」すよね。彼は本来「呪い=ネガティブ」を背負うような重いキャラではなく、底抜けのポジティブキャラなんです。その影響は、伏黒も触発されて行動するほどです。

(C)芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

つまり、虎杖が「願い/ポジティブ能力」を発揮するというのは、設定上も筋が通っているんです。

さらにこれは、なぜ乙骨憂太が主人公から脱落したのかの説明もつきます。乙骨憂太は呪いを行使する「陰キャ」なんですよね。陽キャではない。

乙骨がジャンプ漫画の連載主人公としてはちょっとふさわしくないというのはあるかもしれませんが、もし「願い=ポジティブ力」みたいなものが、呪術廻戦において重要であるとするならば、乙骨のキャラクターや設定では、それは使いこなせないモノだというのもちょっと納得できるんです。

呪いでは人は幸せにできない、という設定があれば、の話ですけどね。

ここまで、全て勝手な考察でしかありませんが──虎杖が関係する「存在しない記憶」というのは「呪い」に対抗するポジティブエネルギーの発露である、という考察は、以上のとおり、ちょっと私の中では納得感があったりします。

ポジ要素に意味があったら物語は何処へ向かう?

さて、そんなポジ要素が劇中において重要な意味を持ったらどうなるか? あるいは「存在しない記憶」がそういったものだったらどうなるのか?

おそらく、虎杖をトリガーとして、呪霊たちの抱える呪いがすべて、ポジティブな方向に昇華されることになるんでしょうね。

それは、劇中でいうところの祓うや滅するとは違ったものになるであろうと予想されます。

そして、最終的には、虎杖はそのポジティブエネルギーを仲間たちに広めて、宿儺も夏油も、その他の呪霊たちもすべて、ハッピーエンドにたどり着くんじゃないかと思っています。あるいは、pixivやなんjのコラや画像で存在しない記憶についてのIFストーリーが盛り上がっていますが、まさにそれが実現する展開もあるかもしれません。

何れにせよ、そっち方面へ向かったなら、呪術廻戦というお話は、殺伐としていながらも、最終的にはかなりハッピーでいい話になるんじゃないかとも思っています。

さてはて、本当のところはどうなんでしょうね。

(C)芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

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