ワンダーエッグプライオリティは、まどマギの再来なのか?

ワンダーエッグ・プライオリティ

ワンダーエッグプライオリティはまどマギの再来といわれている、という記事をニュースで見かけました。

これについて幾つか雑感。

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ワンダーエッグプライオリティにまどマギ要素が?

確かに、少女が魔女化(?)した悪意ある存在を倒す、というシチュエーションはまどマギに似ています。少女たちは、出会い、仲良くなって、別の死を選んだ少女たちに救いを与える為に、モンスターと戦っている。

©Magica Quartet/Aniplex・Madoka Partners・MBS

その際に出てくる敵対者は、思い叶わぬまま怪物化した男女です。概ね、大人が選ばれていましたが、ちょっとだけそうでないモンスターもいましたね。

その敵対者たちを、わけも分からず倒すのが主人公らで、やがてそれが明かされた暁には──あのモンスターは自分たちの成れの果てだった、なんてことになったらまどマギとおんなじなんです。さすがに、そうはならないとは思っていますが(もしそこを真似たらどうかと思いますしね)。

似てるといえば似てるかも?

しかし、それだけで、果たしてまどマギの再来と言えるかどうか?

まどマギってなんだっけ?

ここでまどマギを思い返してみましょう。

かつてまどマギがヒットした理由というのは、私が思うに下記の通りだと思っています。

1.魔法少女という古式ゆかしい日本のアニメコンテンツの文脈を選んでいる。
2.ひだまりスケッチでおなじみの蒼樹うめをキャラデザインとして採用している。
3.その上で、ファンシーな魔法少女モノではなくて、少女たちの戦いをダークファンタジーを描いてみせた。

ここまでが、ベースの要素です。特に、蒼樹うめのキャラクターが殺伐としてダークな世界に飲み込まれていく様子は、視聴者にショックを与えました。加えて、さらに幾つかポイントがあります。

4.脚本家の虚淵玄はダークな話を得意とするゲームライター出身で、物語にゲーム性とループ要素を付与した。
5.監督の新房昭之は、印象的な演出を得意とし、イヌカレーの独特な切り絵世界がそれを後押しした。
6.これらクリエイターのスキルと目論見が高度に絡み合った結果、魔法少女まどかマギカは、初めから終わりまで、そのOPの曲の意図も含めてパーフェクトに噛み合った特別な作品になった。

こんなところでしょうか?

さて、じゃあこれらの要素をワンダーエッグプライオリティは何処まで持っているのでしょうか?

ワンダーエッグプライオリティとまどマギの相違点

──厳密には、似ても似つかないですよね。

言えそうなのは「少女たちが悪意ある存在と戦うダークファンタジーである」という3のみですよね。強いて言えば、4あたりもそうです。虚淵玄の代わりに、90年代末期のダークドラマシナリオライター(笑)である野島伸司が脚本をやっている。

こう書いてしまうと身もふたもないですが、いずれにせよ私としては、ワンダーエッグプライオリティと魔法少女まどかマギカは、本質的には似ても似つかないと思っています。

やっぱり一番の相違点として思うのは、発想の軸足の置き場所の違いですよね。

虚淵玄はゲームライター出身で、ループものもダーク・ファンタジーもナチュラルに描けるライターだと思うんですよね。ループモノというのは、ようするにゲームにおけるセーブポイントからのやりなおしです。それを、魔法少女モノというファンタジーに組み込んで「正解をさがす物語」を描いてみせるというのは、構造化したアドベンチャーノベルゲームにおける物語創作と、それらに連動した感動表現が得意なゲームライターならではの発想でしょう。

対して、ワンダーエッグプライオリティと野島伸司はどうでしょう?

基本的に野島伸司というのはTV視聴を前提とした人間ドラマの技法の人であって、ゲーム的な物語構造の人ではないんですよね。テレビドラマのライターというのは、撮影前に完パケを納品することもありますが、視聴者の反応を見て、話を二転三転させることもするんです。そういう技法に慣れたライターというのは、始めっから綺麗に構造化した物語というのは、あまりやらないんです。

©WEP PROJECT

それよりもドラマのフリとオチを積み重ねて、微調整をしながら大団円をめざすというような書き方のほうが得意だったりする。数字を見ながら微調整する余地を残している。そのかわり瞬間のやり取りのナマナマしさ、キャラのリアルさは、野島脚本ですから、ものすごいものを出してくる。このあたりが虚淵玄とは違いますよね(かつて、虚淵玄は女性キャラがテンプレすぎるとベテランシナリオライターに言われた過去があったと記憶している)。

虚淵玄はゲームライターなので完パケなんですよ。完成品として構造をつくって、そこに肉付けをしていく(だから当たり外れもあるんですけどね)。

私は、それがこの魔法少女まどかマギカとワンダーエッグプライオリティの違いに大きく現れていると思っています。

00年代の前と後の物語の違いとして

まどかマギカはやっぱり初めから全体構造としての、オチありきで構造を作っていますよね。ところがワンダーエッグプライオリティというのは、というか野島脚本というのは、構造ではなく瞬間の積み重ねでやっているように見える。

これ、実はエヴァンゲリオンとかもそうなんですけど、見切り発車で、キャラと設定を配置して物語を書き進めるのが、やっぱり00年代以前の連載モノのやり方だったと思うんですよ。庵野秀明も、ナディアからエヴァでそういう書き方を採っていた。だから、エヴァのラストはあんなだし、ナディアはうまくまとまっているけど、構造的な話にはなっていない(それについては岡田斗司夫さんが指摘しています。「庵野くんは構造的なシナリオは書けないが、辻褄を合わせてドラマチックな展開を作れる人」というような)。もっとも、これは、あの時代のドラマとかのクリエイターの物語の作り方の特徴なのかもしれません。

©khara, inc. / 東宝

で、2000年以後の作品は、場渡り的な衝撃展開よりも、必然性や整合性が求められた時代だと思うんですよ。虚淵さんというのは、それに応えてまどかマギカでやってのけた。

近年の作品でいうと、進撃の巨人でもいいし、ハンターハンターでも、呪術廻戦でもいいんですけど、ファンタジーに逃げずに理屈の整合性を非常に気遣っている。これが00年代以前との違いだと、私はちょっと思っている。

そして、ワンダーエッグプライオリティは極めて90年代や00年代的作劇方法だと感じています。

別記事で私が散々言っていますけど、そもそもワンダーエッグプライオリティの劇中において、モンスター化した敵対者たちに多面的な要素や役割が与えられるのか? ──私は、たぶんそこには何もない気がしているんですよね。いや、いちおうそれっぽい理由は付けると思いますけど、構造や整合性よりも野島伸司はドラマなんですよ。少女たちの感情の機微であり所作なんですよ。

これが、虚淵さんだったら、リアルさこそ犠牲にするけど、キャラクターは容赦なくマミるし、時系列はループするし、おそらくモンスターにも「なるほど!」というその「なりたち」を付与した、多面的な構造を出してくると思います。しかし、野島伸司はあくまでも順撮りであり、話数を重ねて成長か破滅へ向かうさまをただ描くだけな気がするんですよね。

©Magica Quartet/Aniplex・Madoka Partners・MBS

そういった諸々の観点からいって、やっぱり、まどかマギカとワンダーエッグプライオリティは私は全く別物なんじゃないかな〜、なんて思うんです。

まあ、これらは割と予測の範囲でしななくて、ワンダーエッグプライオリティのオチまで見てみないとなんとも言えないんですけどね。ひょっとしたらとんでもない伏線があるかもしれないんですけど・・・見れば見るほどそっちは期待出来ないと思っています。

さてはて、ワンダーエッグプライオリティの明日はどっち!?

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