ワンピースから鬼滅の刃へ〜それぞれのブームに見る時代の影響&空気感の変容

鬼滅の刃ワンピース
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世のヒット作というのは、その時々の世相をある程度反映したものであると、僕は常々思っています。それはジャンプ漫画にも当てはまると思っています。

ワンピースという発行部数が4億を超える怪物漫画があります。ワンピースは1997年から2020年まで実に、23年に渡って連載が続いてきました。初期こそ、ジャンプアクション漫画のなかの一つでしかありませんでしたが、アニメ化&アラバスタ編に入るあたりから、人気が爆発しました。その後、ワンピースは2000年代から20年の長きに渡って、第一線に踏みとどまり、ずっと人気作でした。

ワンピの簡単なヒット理由の説明


ワンピースのヒットは、作品が全方位で素晴らしくよく出来ているのはもちろんですが、やはり海賊物語というのが時代にマッチしたのではないかと思っています。

ご存じの方もいらっしゃると思いますが、ワンピースのベースにあるのは、任侠道ですよね。作者尾田栄一郎先生も自らおっしゃっていましたが、次郎長三国志ほか、いくつかの時代劇の影響を強く受けています。

古い時代劇のテーマ、それも任侠ものといえば根底にあるのは「義理」と「人情」ですよね。これが、ジャンプの「友情」「努力」「勝利」と相性がよかった。キーとなるのはなかでも「友情」と、そこから生まれ出る勝利=成功に有ると思っています。

ワンピースがはじまったのは就職氷河期真っ盛りですが、この直後にITバブルがやってきます。この頃、ホリエモンや三木谷社長の活躍、ソフトバンクの躍進、Docomoによるモバイル・インターネットの発達などがあって、世間は新しい時代に入ったという印象を抱いた。ようするに、既存の産業ではないブルーオーシャンがあると気づいた。そこに新しい海があるならば、人々は海原に出るでしょう。つまりそれは、大海賊時代ですよね。

ちょっとこじつけに見えるかも知れませんが、僕はIT系ベンチャーでのサラリーマン経験があり、新興産業の活況具合い見聞きしています。そして、現在の30〜50歳あたりの男女がワンピースにハマっていたのを目の当たりにしてきました。

そこには「仲間と集まって何かに挑戦しサクセスを得る」という、まんまワンピースと同じ構造があったんです。これは、ワンピースが時代に合致した側面をみごとに表していると思っています。

しかしそれは、時代がすすむとズレが生まれます。GAFAの躍進によって国内SNSのmixi、楽天、ガラケー、検索関連が淘汰され、IT産業はひっくり返ります。そして経済も停滞する中で311という未曾有の大災害が起き、日本はふたたび停滞の時代に差し掛かる。この頃、新しい平成世代が出てきたことで、価値観は少しずつ2つに別れていったと思っています。

それはどのような別れ方だったのか?

価値観の変化


個人的には、30代後半から40代前半を境にして、ワンピ的な友情&サクセスを求める世代と、そうでないモノを探し始める世代に分かれると思っています。ちょっと脱線しますが、311後の映画で特徴的なものに、シン・ゴジラと君の名はがありましたよね。僕は、その2作品についてちょうど2つの世代で好みがわかれるという話を良く聞きます。──具体的には、年長の世代はシン・ゴジラを好み、若年の世代は君の名は、を好むんですよね。

シン・ゴジラというのは、災害があっても助け合って努力すればスクラップアンドビルドで立ち直れる、と考えるワンピ的思考の世代なんです。そして、君の名はを好む世代は──これは「彼岸願望」であるとか「極楽浄土信仰」でるとか、諸説あるんですけど、個人的にはそのどちらでもなくて、ようするに「ワンピ的オラオラ問題解決以外の方法はないか?」と、新しい価値観を模索していた世代に刺さったんだと思います。

ワンピ世代って体育会系でちょっと暑苦しいんですよね(見てのとおりルフィ他はみごとなまでの脳筋ですよね)正直。若い世代はミッション達成ごとに飲み会とかしたくないんですよね(ワンピは節目でかならず飲み会をしている)。で、ワンピ世代よりも下の世代というのは、停滞した時代にあって同じ手法にどうも疑問を抱いている。そして、別の何かを追い求めていた。君の名は、別にそれについての答えを何一つ示していないんですが期待感だけは抜群にあった。ワンピとは違う答を探そうとしていて、そこに若い世代は心惹かれたんじゃないかと思っています。

折しも、今は新興産業ブームは一旦過ぎ去って、現在はITによるパーソナルメディアの時代ですね。You TubeやツイッターやInstagramが発達し、若い世代は上の世代とはちがう文化圏や経済圏を構成するに至っています。その関係性は、海賊団のように多方面で道場破りをしながら外へ外へ、というものではなく、小さな集まりが数多く生まれて、個別にグループを創ってやり取りするような形になっています。所謂、ファンビジネスの発達、小さくドメスティックなコミュニティが力を持ち始めました。

そんな頃に鬼滅の刃が出てきました。

鬼滅の刃の出現


正直、鬼滅の刃がアニメ化されたときは、イマドキ和モノ作品がヒットするのだろうか? などと疑問を抱いたものです。実際、前半の鬼殺隊に入る前の展開は、かなり地味な印象がありました。しかし、それはアニメーションの質の高さもあって、一瞬で広がってしまった。

何故そこまで広がったのか? そこには、令和前後に蔓延していた、ワンピ的な手法ではちょっと行き詰まっていた雰囲気に加えて、世界的事件があったこと──つまりコロナ禍の影響があったと思っています。

停滞期にあって、コロナという大事件が起こったことで、人々は自身のあり方を見直します。在宅ワークが求められる現代において、ワンピ的な正面突破=面と向かっての積極営業が非常にしずらい時代になってしまった。

そこに「スッ」っと差し出される鬼滅の刃。

ワンピは「義理」と「人情」をジャンプ三原則に+することでサクセスを引き寄せてヒットしました。

ここに鬼滅の刃は違うものを出してきた。鬼滅の刃が描いていたのはジャンプ三原則に+して「家族愛」と「災禍」への対応をドラマとして提示したんです。これが、今までの作品にはない魅力になった。

まず家族愛の方ですが、これは言わずもがな炭治郎と禰豆子の関係ですよね。基本的に少年誌のヒロインは、血縁者ではないことが多いと思うんですけど、鬼滅の刃の禰豆子はがっつり炭治郎と血縁関係にあります。これは、昨今では本当に珍しいものだと思うんですけど、時流が重なったことですんなり受け入れられた。コロナのせいで友情を育むよりも、ドメスティックな絆への回帰が進んだんだと思っています。

鬼滅の刃は劇中、徹底的に家族を描きます。それは竈門家についてもそうですし、敵対する勢力にも当てはまります。鬼滅の刃は、常に家族という単位がついて回りました。あの鬼舞辻無惨様ですら疑似家族を創っていた。コロナ禍の中にあって、人々はそこに共感できる様々なものを見出すことが出来たんだと思うんです。

次に、災禍について──鬼滅の刃における天災とはなにか? それはもちろん「鬼舞辻無惨」様です。彼は人類に対する地震や津波とおなじ天災ですよね。人と絶対に理解しあう事ができない存在。そういうものに家族という単位を創って立ち向かう炭治郎や鬼殺隊は、コロナという災禍に見舞われた2020年の私たちの心情に重なるものが合った。

つまりは、ワンピの時代は友と共に成功を目指す時代で、鬼滅の刃の時代は家族と災禍に立ち向かう時代だってことなんです。そう考えると鬼滅の刃が受け入れられた理由は非常によく分かると思いませんか?

令和の今後と鬼滅の今後について


さて、そんなヒット作鬼滅の刃ですが、アニメ放映は控えておりますが、悲しいかなコミック本編はもうキッチリ結末してしまいましたね。一方、ワンピースはまだ続いています。

ここにも何か、意味がある気がするんですよね。

思うに、ワンピースのような仲間とのチャレンジはいつの時代も必要があれば生まれるし続く。ですが、災禍と戦う鬼滅の刃の家族的なものは、戦いが終われば、腰を据えて日常に戻るんです。

ワンピのチャレンジは冒険とサクセスです。そして冒険には終わりがありません。しかし鬼滅の刃のチャレンジは災禍の克服です。それは克服すれば終わりえす。普通は望んでもう一度なにか災禍に立ち向かうなんてこと、しませんものね(ジャンプではあるんですけどね、そういうのも)。

そしてこの鬼滅の刃が、令和の二年にキッチリと終わってしまったことというのは、ようするに今私たちを襲っている災禍というのも、遠からず終わり、平和な日々がくるんだ、というようなことを伝えているようにも思えました。

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