鬼滅の刃が劇場大ヒットしてますね。
このヒットは、令和でコロナのこの時代にある程度予想できたものではありますが、その人気の理由には諸説ありました。いずれも後付けのものではありますが、そのいくつかの中にある理由の一つを、今回はすこし掘り下げてみたいと思います。
タイトルのとおり、鬼滅の刃と桃太郎、そして鬼退治というモチーフが鬼滅のヒットに与えた影響について。
ヒットの理由は、鬼退治?
鬼滅の刃のヒットの理由はたくさんありますよね。よく言われているのが、室の高いアニメ化されたこと、そして厳しい時代に家族というテーマを扱ったこと。細かくは、耽美でありながらも、ジャンプ文脈にのっとった、勧善懲悪であったこと、キャラクターや世界観が、誰にとっても馴染みがありながらも、新規性があったこと。そんなところでしょうか?
しかし、劇場版等がここまでヒットするとは思っていなかった人も多かったんじゃないですかね。ちなみに、僕は驚きました。何に驚いたかと言うと、その視聴層に。
劇場公開作品の大ヒットの内訳って、当たり前なんですけど多くの人が見に行く必要があります。で、お客さんを集めるための定番の仕込みとしては「家族で見れるもの」というのがあるんです。
すなわち、ポケモンやクレヨンしんちゃんやドラえもん、そしてディズニー映画が毎回日本でランキングに入ってくるのは、親子が見ているのでダブルカウントされることによってヒットするんです。
ちなみにエヴァンゲリヲンの動員の内訳は、リピーターと友人です。スターウォーズとかもそうですね。ああいうのは友達と見に行って楽しむんです。タイタニックは異性と行く作品です。このように、複数の誰かと一緒にみれる作品というのは、ヒットの最低条件なんです。
さて鬼滅の刃に話を戻します。僕が驚いたのは、あの殺伐とした作品を子供にみせたんだ?ということです。けっこう残酷なシーンもあったと思うんです。なんなら、鬼滅の刃の累の話の時なんてトラウマ物です。
それでも世の親は子に鬼滅を見せたし、小学校低学年であっても、やや猟奇ホラーめいたあの作品を受け入れた。何故だろう?
ここで気づくのが、日本人の誰もが知る「鬼退治」という話ですよね。
鬼退治は日本人にとっての普遍的な正義の物語
鬼退治というのは、よく考えたら、日本人の誰もが知る物語なんですよね。犬猿鳥をつれて、鬼を倒すために道中行脚です。さすがにきびだんごはでてきませんでしたが、構成としては、主人公1に対して、脇を固める3人という、桃太郎史タイルです。
まあ、それはあんまり重要じゃないんですけど、大事なのは誰もが知っている鬼退治というモチーフが僕らのベースにあることによる設定の敷居の低さです。
例えば、進撃の巨人ってちょっと敷居が高いんですよ。あるいはハンタとかジョジョもそう。低学年は見に行けない。劇場公開されても、なかなか親子で一緒に見るという選択にはならない。
ところが、鬼退治モチーフの鬼滅の刃というのは、小さな子どもも「あー、鬼をやっつける話だよね!」と、すんなり入ることが出来るんです。これが大きい。これ、当たり前の話なんですけど、劇場版がヒットしてから気づいたんです。鬼滅の刃はグロいこともあるので、低学年は見ないと思っていた。
しかし、鬼退治モチーフとすることで、戦いは殺伐としたものである、というのを受け入れて、子どもたちは鬼滅の刃を見たんですよね。もちろん、根底に鬼たちにも理由や救いがあったというのは大きいです。あと本当に怖いシーンはなかったりね。
人は見知ったものにしか手を出さない
さて、ここでもう一つ人が新しい物を受け入れる構造についての話をします。
人というのは、新しいもの──サービスや商品、コンテンツに手を出す時に、ある判断をします。それは、過去に見知ったものとどんな類似性があるか?何が異なっているのか? そういう判断です。
当たり前なんですけど、それが良いか悪いかというのは、過去の経験がなければ判断できないんです。だから、ヒットする商品というのは、何がしかの「過去経験したことのある要素」というのをはらんでいる。
これは例をあげることができます。ドラゴンボールは「西遊記」、ワンピースは「海賊(たぶん海賊の認知を上げたのはキャプテンハーロック)」、ナルトは「忍者」、その前に忍空という下地もあるし、さらに古くはカムイ伝とか、カバ丸とか、忍者は枚挙にいとまがない。(呪術廻戦はちょっと複合的なんで、別で論じたいと思います)。
で、逆に全く新しいもの、見たことがないものというのは、人は怖がって手を出さないんです。食べ物でも作品でもなんでもそうなんですよね。
つまり、鬼滅は、鬼退治モチーフを孕んでいたので、手を出しやすかった。当たり前のようで、もっとも重要な要素の一つがこの「過去に知っているものの延長であること」なんです。
紐解いていくと本当に「外さない条件」でつくられている
こうしてみていくと大ヒットの内訳が本当に細く見えてきます。アニメ化の室の高さ、鬼退治の敷居の低さ、家族モチーフ、ジャンプ的ギミック、耽美でオシャレ感ある設定、女性的な人類愛等々──やっぱり、ヒット作というのは、ほんとうに「当たるべくして当たる」構成に満ちているんですよね。
そしてこの勢いは、たぶんアニメが完結するまで終わらないんじゃないかなー。
さて、全然関係ないんですけど、最近僕が気になっているのは「続編をすべて劇場版でやる」なんてことをしないでほしい、ってこと。
お茶の間で見たいんですけど。
あ、なんなら劇場版を30分きざみにしてお茶の間で流してほしい。せめて、テレビと両建てして、この令和の「鬼退治」を見せてもらいたいなって思っています。
ああ、またいつもの勝手な願望ですけどー。