呪術廻戦第2クールはじまりました。
京都姉妹校交流会編のゼロ話でした。その先の期待は膨らむばかりです。
さて、第2クールの開始とともに、新OPとEDも発表になりましたね。内容からの作品の考察は、考察好きな他の方々におまかせして、僕はこの作品のEDのセンスの良さについて、なぜ呪術廻戦が支持されるのかという理由を交えて、解説&考察したいと思います。
タイトルで半分くらい何言うかネタバレしてますけどねー。
なぜ呪術廻戦が支持されるのか?
他のところにも書きましたけど、呪術廻戦が人気な理由って、作者が若いせいもあって劇中の振る舞いや会話、文化等がすばらしいまでに「今」になっているんですよね。とっても、すんなりと入ってくる。
それはキャラクターについてもそうです。
子供だましの、ヒーローじゃないし、ヲタクが考えた、萌えとか可愛いとかカッコイイとかでもない。異世界転生モノによくあるオレツエーでもない。前時代的父性価値観にもとづいて古い正義を行使するキャラクターもいない。
というかそういうのは、五条悟の敵になってますよね。彼の反骨心は、呪術界に向けられている事になってますが、本質的には、現在の古い体質に対しての反抗だったりしますしね。
相手にしているのは呪いなんですけど、戦い方というのは、僕らが社会において応対するときの、気合だったり心持ちだったりと変わらない。そういう等身大の感覚が重ね合わさって「今」の感じを醸し出しているし、「自分達の話」をしているような気になるんですよね。
これが呪術廻戦が支持される理由だと思っています。
さらに、アニメ化に際して、奇跡がついてきます。
改悪されなかった作品
一昔前の、原作付きアニメーションって、話数を稼いだり、アクションをやりきれなかったりすることから、けっこう改悪されることが多かったと思うんですよね。
ナルトもドラゴンボールも原作のとおりかと言うと、ちょっと違いますよね。引き伸ばされて、さらにアクションはアレンジをされている。スラダンだってそうです。もっとも、別方向に質は高められていますけど、原作の良さというのはどこかへふっとばされてしまっている。
対して最近の作品というのは、幸運ですよね。技術がついてきたのか、なるべく原作に忠実にやろう、という流れがあって、良いものが仕上がっている。
ジョジョだって作り直されたし、ダイもそう。鬼滅の刃はいわずもがなで、コミック原作の良さをそのままに、ぐっと質だけを高めてきている。
これが呪術廻戦においては本当に功を奏したと思っている。あの作品の空気感みたいなものを損なわなかったので。
作品を理解している造り手がアニメ化することの幸福
で、現在の呪術廻戦ですが、これのアニメをつくるスタッフというのは本当に呪術廻戦がどういう作品であるのか、よく理解しているな、って思います。
それが、第一期や第二期のエンディングによく現れているんですよね。
第一期のエンディングは、主要登場人物の日常を描いた、スタイリッシュなものでした。
軽妙な音楽にのせて、虎杖、伏黒、釘崎、五条ほか、主要メンバーが現れて、呪術廻戦のあの血で血を洗う抗争の裏側には、他愛もない、視聴者と同じような日常があるのだと感じさせてくれました。
第二期のエンディングはそれを更に掘り下げてきましたよね。
スマホ縦画面撮影による動画の、ありふれた日々を切り取ったかのような映像は、とても心にしみるものが有りました。
第二期エンディングは、第一期における虎杖の苦難をしっているからこそ、際立つんですよね。こういうモチーフをEDに入れ込んでくるあたり、ほんとうにこの作品のアニメの作り手は「わかってるなあ」と思う。
そう考えるとやっぱりワンダーエッグプライオリティは「作り物のエモい」をただ組み合わせたようにみえちゃう(脱線すまん)。
戦う相手が違うけどこれは「僕らの話」
あの二期のエンディングというのは、つまりは、記事タイトルに戻りますけど、虎杖たちは呪いと戦い、僕らは日常や社会と戦っている。でも、そこで感じる喜怒哀楽は、おんなじですよってことなんです。
それをエンディングで表現しているんです。
それがとっても尊いんです。
だから、僕らは呪術廻戦に惹かれるんです。呪霊とかバトルとかはまあ楽しいですけど、作品考察とかもいいんですけど、僕らがコレに惹かれる本質はそっちだよなー、と思うのです。