呪術廻戦〜素顔の見えない五条悟に込められたメッセージと、彼が支持されるヤバい理由

呪術廻戦
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(C)芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

呪術廻戦の五条悟がかっこいい。

そんな事は誰しもわかっていることだと思います。そして、僕はあのキャラクターに、一つちょっと他の作品のキャラクターにはない特徴があると思っています。

今回は、それについて解説したいと思います。

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珍しい「最強すぎる味方キャラ」五条悟

この五条悟というキャラクターは、皆さん御存知の通り、劇中における最強キャラの一人です。呪霊側の最強キャラが、まだその能力を開花しきっていない両面宿儺だとするならば、呪術師側の最強は五条悟ですよね。

そして珍しいな〜と思うのは、最強キャラって、過去の作品にも様々いるんですけど、ここまで手放しで最強な存在というのはあんまりいない。

しかも味方ならなおさらです。敵で最強はおるんですよ。敵なら最終的に試行錯誤して倒すって流れがあるので、最強でも問題ない。でも主人公側で、先生ポジションキャラで、ここまで無敵なキャラクターって、いますかね?

(C)三条陸、稲田浩司/集英社・ダイの大冒険製作委員会・テレビ東京 (C)SQUARE ENIX CO., LTD.

ダイの大冒険のアバン先生も、ナルトのカカシ先生も自来也も、ヒロアカのオールマイトも、玄海師範も、ビスケたんも、ツェペリも強いですが、どれもそれぞれの事情でもって制限があり、べつに最強という訳ではありませんでした。

別記事でも書きましたが、普通、どんな強いキャラというものも、制限があるんです。もちろん、五条悟も最強すぎるが故に、渋谷事変にて封じられてしまったのだけれど、そっちはまあストーリー上の状況的な話であって、五条悟の能力に何か不備や限界がある訳ではない。そして今の所、師匠や先生キャラに良くある「力を出すためのヒントは与えた!あとの事はお前たちに託したぞ!END」を迎える様子もない。

なぜ五条悟は、呪術廻戦という物語において、イケメンで、かっこよくて、不遜で、完全無欠の、最強キャラになっているのでしょうか?

その方がおもしろいから? 作者が中二を引きずっているから? どれも間違っていはいませんが、僕はそれは本質のすべてを言い当てているものではないと思っています。

先生なのに先生らしくない五条悟

よくよく見ていくと五条悟って結構変わったキャラ設定をしていますよね。

劇中立場としては、先生ポジなんですけど、不遜なヤツですよね。自分のことを最強といってはばからない。教師であって生徒らに優しいのは、他の先生キャラとかわりませんが、決定的に違うのは、お上や年長者に対してものすごく態度が悪いという事。作者も言っている通り、五条悟は性格の悪いヤツであり、人としての模範ではないですよね。

(C)芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

アバン先生もカカシ先生もオールマイトも、正義の名のもとに、ちゃんとした道理をもち品性を持っている(カカシ先生は品性ないときあるけど)、彼らはいちおう劇中にあって、教師としてのサラリーマン的ポジションを享受し、ちゃんと遂行している。

対する五条悟ですが、彼が教師であることはたぶんオマケですよね。目的の為にそれをしているのであって、多分他の手段が彼の目的に叶うなら、教師であることをやめる。

その目的は、劇中でやんわりと公言されているとおり「腐った呪術師界を変える」事です。そのために、仲間を集め、若い世代を育て目上の連中に食って掛かっている。

なぜそんな目的もつキャラクターとして設定されたのか?

キャラクターは原作者の言動に引っ張られる

五条悟の、その尖った目的とキャラクター性についてですが、僕はこれって、ようするに原作者の遠回しの願望や不満の反映だと思うんですよね。

作品というのは、往々にして作者の自分の境遇であったり、社会への願望であったりというものが反映されるんですが、呪術廻戦というのは、キャラクターの言動にそういうものが、けっこう色濃く出ている作品だと思うんですよ。

作品を通して自分の言いたいことを伝える漫画家というのは、いないわけでは有りません。ですが、少年誌においては割とレアだと思っています。劇中で、キャラクターが道理を説くことはありますが、それはあくまで、道徳の範疇であり一般論に飾り付けをしたケースであることがほとんどですよね。

特に、少年誌でよく扱われる「正義」なんていう感覚は、状況が変わればいくらでもひっくり返る話なので論じづらい。だからルフィは麦わらファミリーへの仲間への愛を語り、夢を追うし、悟空は純粋な強さのみを追い求めることを道理とした。鬼滅の刃は誰もが同意できる家族愛という一般論に帰結している。

(C)尾田栄一郎/集英社・フジテレビ・東映アニメーション

ところが、呪術廻戦は、それらとはちょっと異なっている。言動は生々しくてリアリティがあり、正義の話はまず出てこない。家族愛や友情も、まあ無くはないですが、それぞれの大目的の為に脇に置かれている。並行して、自身の境遇や世に対するパーソナルな主張がチョイチョイ差し込まれている。

そんな中になって、最も色濃く世に対して不満を表明し、不遜に振る舞うのが五条悟です。

五条悟は原作者の尖った部分の分身

五条悟は劇中、というか過去編において「俺、正論嫌いなんだよね」「ポジショントークで気持ちよくなってんじゃねーよ」等の発言をしています。さらに、適当そうにみせつつも、虎杖が一時命を落としたときには、上層部の者を皆殺しにせんばかりの怒りを見せた。やだ、激しい。かっこいい。

で、思うのは、これらは、まさに原作者の芥見下々先生自身の苛立ちだと思っている。そう、考えると五条悟というキャラクターのあり方に色々と説明が付くんですよ。

(C)芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

まず、自身は優れた能力を持っている。しかし色々うまく行かないし抑圧されている。なので、気に入らない世や目上の人たちに日々呪詛を吐いている。すべてを壊すことも自分も力なら出来てしまうけれど、それをすると自分も愛する人たちも困るだろうから、そこは大人になって我慢する。しかし、調子に乗っているなら潰すことも厭わない。他方、下の世代に手を差し伸べ、もり立てたいと思っている。自分のような苦労はしてほしくない。更に言うと、どうせ我慢するなら、面白いほうがいいよね、と、思ってちょっとアレな感じに振る舞う。

これは、ようするに一般人には及びもつかない、才能ある人が抱えている人のジレンマそのものです。そして気付くのは、芥見下々先生の置かれた状況って、実はこんな感じなんじゃない?と。年齢も近いしね。つまり、何のことはない五条悟は作者が考える「自分がイケメンで最強になって、収まるとこに収まったらこうするわ」を反映したキャラだってことです。

ちなみに「自身の願望や立場をストレートに反映したキャラクター」っていうのは、僕は基本的には禁じ手だとおもうんですよね。なぜなら、やったら寒いし、真面目になっちゃうし、読者がついてこないから。だから、だいたい作者はアレンジをする。自分の主張を複数キャラに分散させたりすると思うんです。

ですが、これを芥見下々先生は、たぶん無意識なんでしょけど、少年誌のアクションヒーローモノで一人に集約してみせた。(厳密には伏黒もたぶん先生の分身だろうけど。あと乙骨も)。そして受け入れられた、人気を得た。拒まれなかった。そこもまた面白いなって思うのです。

僕はこの「五条悟」というキャラクターが受け入れられたという状況に、ちょっと時代の変化とか要求とかを感じてしまうんですよね。これ、とっても特別なことだと思うんです。

それを踏まえて、最後にもう一つ。

五条悟と呪術廻戦が人気と評価を得る理由

昨今メディアとかYou Tubeとか見ていても思うんですが、最近というのはタテマエが機能しない時代ですよね。タテマエというのは、道理であり、正義であり、倫理だと思うんですけど、往々にして、力を持つものによって、けっこう好き勝手に振りかざされてきた歴史がある。

そんな中で、五条悟という最強キャラは、本音で文句を言うんです。劇中で、良くある「先に生まれた人たちが作った、独善的で不自由なしくみ」に対して、それどうなの? 俺がぶちこわしてやんよ、と。

(C)芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

それはそのまんま、僕らのそれぞれの世代が抱えるジレンマにも当てはまるんですよね。そしてリアル世界でもそれに近い、価値観の転化が行われている。

だから、僕らは五条悟がエキセントリックに行動して、それらを覆すのをみるとスッキリするんです。芥見下々先生が作った五条悟というキャラクターは、「僕らの願う最強の世直しヒーロー」でもあるんです。

オールマイトもアバン先生もカカシ先生も、旧来のタテマエ的子供だましの道理は説きますが、リアルを侵食するようなセリフは吐かない。それは少年誌だからというのはありますけどね。他方、五条悟は作品を通して、世のクソなものはクソだと言ってのける。そういうスタンスでいる。

ちなみに、作品自体を見渡すとそんな不遜なスタンスをしているのは、五条先生だけじゃなかったりしますよね。呪術廻戦には、生々しい言動をするキャラクターがほかにもいっぱいいます。そこが魅力的でもある。作者はたぶん無自覚的に、自身を反映しているだけだと思うんですけどね。

そして、彼らの不遜なスタンスは、愚痴って終わるだけじゃないのが呪術廻戦の良い所です。

劇中の登場人物というのは、不満をいだきつつも、それを覆すために身体を張って場にのぞみ、奮闘している。それぞれが、ありきたりのタテマエの言葉や答えではなく、まず姿勢をもって事象に対処し、物語をすすめている。時に自身の腕とか吹き飛ばしつつも、前に進む。口汚い文句だけではなくて動く。五条先生はもちろんですが、伏黒も、虎杖も、釘崎野薔薇も、真希パイセンも。シャケもパンダも。

そんなところが、心にグッとくる。世に不満は数あれど、何かを手に入れるには、人は動かなければいけないんだ、と。これが、実は今の時代にバチッとハマって、僕らに評価されているんだと思っている。

そう考えると、単なる少年漫画も馬鹿にできないでしょう?

(C)芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

以上、五条悟と呪術廻戦の、僕的に思うヤベーと思うお話でした。

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