呪術廻戦〜虎杖悠仁の脳筋自己犠牲は、令和キッズの価値観に影響を与えそう

呪術廻戦
(C)芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

呪術廻戦、面白いですよね。

何が面白いかというと、もちろんお話や設定、そしてアクションが面白い。さらにいうと、個性豊かなキャラクター達が魅力的ですよね。

呪術廻戦は、それぞれ主役級のパーソナリティをもったキャラクターの集まりだと思っています。伏黒もそうだし、釘野も、五条先生もそう。彼ら彼女たちは、別作品なら主役になれるくらいの強度がある。というか、五条先生は過去編の主役でしたね。

さて、そんな、強キャラ達を向こうにおいて、虎杖悠仁は劇中のキーマンとして主役を張っている訳ですが、今挙げた3人に対して並ぶと、幾つかの点において「やっぱり虎杖悠仁は主役だよな」と思えるんですよね。

以下、それらを定義しつつ、虎杖悠仁が生み出す、新たな時代の価値について、少し触れてみたいと思います。

スポンサーリンク

3つの主人公属性

主な点は3つ。

  1. チートである
  2. 考えるより動く脳筋
  3. 自己犠牲精神

この3つの要素のうち1つもしくは2つまでは、他のキャラも属性として持っています。或いは主役を張っているときはこの3つ全てを発現することもあるでしょう。しかし、本編ではこの3つが虎杖悠仁の専売特許となっています。

(C)芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

1つ目の「チート」であること。これは言わずもがな、両面宿儺を身体に宿してなお抑え込み、本人自身も人間ばなれした身体能力をもつ超人です。

2つ目「考えるより先に動く脳筋」という特性。これ、実はアクション系物語主人公には結構重要な要素です。物語というのは、事件を起こさないと進まないんですが、動くキャラクターというのは構造をつくらなくても、どんどん動いてくれるので、楽なんですよね。また物語を引っ張ってくれる。

これが、伏黒みたいに「いや、ちょっと考えよう」などと言い出すと、物事というのは停滞して小難しい方に言ってしまう。もちろん、そういう物語もありますが、基本的にはアクションモノの主人公は、身体を先に動かしてくれたほうが楽しいし、作る方も楽です。

ワンピのルフィもそうだし、ハンタならゴンはまず身体を動かす。だから物語が動く。定番ですね。

最後の3つ目「自己犠牲精神」。

僕はこれを、虎杖悠仁の一番の特性だと思っています。全ての物語は彼の自己犠牲から始まっている。その自己犠牲は本編見た人ならわかると思いますが、亡き祖父によって虎杖悠仁に付与された「言葉によるギアス」ですよね。ある種の呪いなんですよねあれ。しかし、それがあるから、彼は両面宿儺を取り込み、成長し、物語の最前線に立ち続けている。

虎杖悠仁は「チート脳筋自己犠牲野郎」です。

虎杖悠仁はめずらしい主人公

ただ、ここで珍しいなあ、と思うことが一つあります。

「チート&脳筋」というのは良くある主人公なんですが、自己犠牲というのをココまでカジュアルに見返りなしにやっている主人公は、ちょっと見かけない。

カジュアルでない自己犠牲主人公は結構いいます。ようするに旧来の「説教臭く、劇中の見返りとセットで行動する自己犠牲主人公」のことです。

たとえば、鬼滅の刃の竈門炭治郎、或いは、もののけ姫のアシタカとか、とある魔術の禁書目録の上条当麻とか。竈門炭治郎は家族を助けるために自己犠牲精神を発揮します。上条当麻は女の子を助ける為に。 アシタカはサンを助けるために。ここで気づくのは、その自己犠牲は、常に対象がいて人ありきだったりするんですよね。ところか、虎杖悠仁は違うんです。

彼は、劇中のヒロインや女の子や妹を守るために自己犠牲精神を発揮している訳ではない。じいちゃんに言われて、あらゆる人を助ける為に戦っている。しかも、あんまり説教めいたことは言わない。炭治郎は鬼や鬼舞辻無惨に道理を説きます。アシタカは、モロや烏帽子様に青臭い道理を説く、上条さんは説教しながら殴る。そしてその言動の結果としてヒロインを得ている。一方の虎杖悠仁は、ただただ、自己犠牲的に行動をしている。劇中においても、作品からみた対視聴者に対しても、何一つ見返りを求めていない。

それが非常に珍しい。

視聴作品が子供に与える影響

ヒーローというのは社会上の倫理観に影響をあたえます。ただ一方で、あまりにも清廉潔白すぎると、説教がましく、うっとおしいし胡散臭いものとしても映る。

人は、竈門炭治郎みたいな真面目な人間になれないし、アシタカみたいなイケメンじゃないし、上条さんみたいな、ダサい説教もちょっと恥ずかしい。どこかで、そのヒーローキャラに対して「あれはウソ」「説教くさい」というような客観性が働いて、正義の心は理解していても、実際にはそこまで影響を受けるわけではない。現実にもどってしまう。

©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

ところが虎杖悠仁というのは、カジュアルなキャラクターなので、その現実との境界が曖昧です。さらに行動も等身大で、嫌味がないしクセがない。これが、世の中の倫理観にどう受け入れられるのかが、僕はとっても気になっている。

特に、彼の無条件の自己犠牲世精神についてです。視聴者は、それをまったく理解できない価値観として捉えるのか、それとも「自分にできることがあるなら無条件で他者を助ける」という精神を育むことに影響を与えるのか。

青少年の時代に見た作品の影響というのは僕はけっこう強いと思っています。

たとえばワンピ世代は友情と仲間に対する意識が強いと思っている。君の名は世代は、パーソナルで内向きな関係への意識が強いですね。そして──鬼滅の刃が流行っている今の子どもたちは、家族と社会的自己犠牲への傾倒が進むと思うんですが、視聴者層によっては、そこに呪術廻戦の虎杖悠仁という無条件自己犠牲がさらに交じるんじゃないかな、なんて思っている。

呪術廻戦の、コアターゲットというのはDQNの色が濃いとおもうんですけど、ようするに鬼滅の刃の炭治郎をうっとおしいと思う層にリーチする筈なんです。

しかも面白いことに、この虎杖悠仁というのは、炭治郎よりもハードルの高い「無条件の自己犠牲」をヒーローのあり方として示しているんです。彼を見た子らはどんな影響を受けるのか?

やがて正義マンは死ぬ

僕は、昨今日本のネット上に正義マンとよばれる人たちが多いのは、昭和平成にかけての勧善懲悪めいた正義ヒーローモノの影響だと思っているんですが(だいたいワンピ世代までがそこに入ると思っている)、そういう価値観っていま急激に変容していると思うんですよね。

それは呪術廻戦の敵キャラとかにも現れている。呪術廻戦における呪いの定義は、虐げられた自然物や現象の人類への反抗ですよね。そしてどうも憎めない一面があり、簡単に悪として処断しきれない事情が付与されている。ようするにポリコレめいた側面を持っているんですが、そういう複雑な価値観のなかで活躍する人物のアンサーの一人が虎杖悠仁だとしたら、その影響を受けた子らの将来はけっこうエポックメイキングなことになるんじゃないかな、と思っています。

たぶん正義マンは、古い価値観として遠からず淘汰される。その後の「助けい」や「施し合い」が、とどうなるのかはわかりませんが、虎杖悠仁が正しく活躍することは、そう悪い影響にはならない気がするんですよね。

(C)芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

ワンピのルフィとかと違って(笑)

タイトルとURLをコピーしました