デカダンスに見る、物語制作において世界観と葛藤の関係について

デカダンス
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デカダンスでなつめにカブラギさんや世界の正体が明かされました。それによってなつめやカブラギさんは新たな選択をしなければならなくなり、それぞれ思い悩み決断へと向かいます。

10話次点で久々に?先が見えなくなって、面白くなってきたデカダンスです。とくに10話途中で、なつめがカブラギさんとの出会いから今までを回想するシーンは、ちょっとキュンとくるものがありました。物語というのは情報を事前に積み上げることで、後に良い感動を生み出すことが可能なんですが、10話はそれがしっかりと機能していたと思えます。

しかし──それにしても気になるのは、このデカダンスというのは本当に丁寧にドラマが作られているんですが、どうもキャラクターの一挙一動に、今ひとつ踏み込んだ感動を得ることが出来ない。10話のなつめの激昂とカブラギさんへの怒鳴り込みは、感情としてはわかります。キュンときました。デカダンスのキャラクターの感情というのは、そういう所もふくめて本当に丁寧に描かれているんですが、何か違和感がある。カブラギさんを見ていてずっと引っかかっている。それはなんだろうかと、考えていてふと1つ思い至る。

あれ、デカダンスって設定的にはハードSFだよね?

斬新な世界観のSFに使い古された葛藤の物語

ちょっと話がずれますが、ドラマというのは、葛藤とその解消を繰り返すことで進んでいきます。そして、その葛藤というのは、ドラマのテーマや設定にひっぱられて生み出され、それが視聴者の共感を引き出すことで、見るものを魅了し物語に取り込み、感動させるように出来ています。

そして、デカダンスにおける登場人物たちの葛藤はどこにあるか?

まずなつめですが、彼女はシンプルです。「半人前の自分から抜け出して独立独歩すること」ですね。彼女は殺伐とした世界について、最低限の知識しかありませんから、ヒトとして当たり前の若い感情でもって、一喜一憂します。それは、物語としてかなり正しいし、ヒロインとしても納得出来る存在です。

次にカブラギさんですが、物語上の彼の葛藤は「いままで自分を縛り付けていたシステムを覆すことで本当の生を探したい(あるかないかわからないけど)」という所にあります。カブラギさんの外見設定をややオッサン気味にしたのは、狙ってのことだと思いますが、ようするに飼いならされていていいの? というメッセージを視聴者に対して投げかけたいと考えて、そう作られたのだと予想されます。それはまあいいとして、カブさんが抱えるこの葛藤ですが、これかなりベタベタで、昔から良くある葛藤の一つだったりしますよね。体制を疑いそれを覆し新たな未来を作る物語というのは定番ですから。

この構造、SFじゃなくても機能するんです。進撃の巨人もそうだし、ワンピもそういう側面がある。世界はいつだって新しい力に塗り替えられる。

じゃあなんで進撃やワンピは傑作で、デカダンスの葛藤は、それらと同じベクトルにあるのにいまいちピンとこないのか?

世界感とカブラギさんの葛藤が噛み合っていない

デカダンスの設定はハードSFです。

そしてカブラギさんってサイボーグなんですよね(※初期あの二頭身姿はマトリックス的デジタルデータだと思っていたケド)。サイボーグと聞いて思い当たるのは、食事をどうするの?とか、生殖はどうするのとか、そういう側面です。

システムに組み込まれていてヒトじゃない。かつてヒトであったがそうでな存在のはずです。つまり、サイボーグ特有の生身への嫌悪とか憧れがあるはずなんです。それがブレードランナーのレプリカント的なものなのかはわかりませんが、正統にこの斬新なSF世界をカブラギさんの葛藤に反映するなら「システムへの反抗」に加えて「生身と機械のズレに対する葛藤」も存在していてもおかしくないと思うんですよ。

ところが、この物語では何故かそこに言及せず、カブラギさんはシステムに立ち向かい世界を変えよう、という葛藤のみで走っている。

これはちゃんと作ると「機械(おっさん)と生身(女子)は、タブーなく心を通わすことができるのか?」を問いかける異類婚姻譚にもなると思うんですけど、そんなことは一ミリも描かれていない。というかそっちのほうがテーマとしては絶対おもしろいと思うんですけど。なぜ恋や愛を物語から切り離したのか?強烈に疑問。

システムの一部にして異物でありサイボーグに生まれたおっさんが、若い人間の女子に何をしてあげられるのか? 二人は理解しあえるのか? 結末は受肉ENDか、はたまた僕はキミの犠牲になるから、君は生身の世界をイ㌔ENDになるのかはわかりませんが、そういう踏み込んだところの葛藤を描くべきだと思うんですよね。その上で、システムの破壊を試みるのであれば、とっても面白いのに。

スタートを間違えると物語は全く違うものになる

しつこいくらいいますけど、デカダンスは、作品としても世界観としてもドラマとしても、本当に丁寧に作られていると思うんですよ。

でも、どうもズレたまま突っ走っていると感じる。もしラストに、システムの対抗以外へのカブラギさんの葛藤が出てきたら、とても面白いと思うんですが、今見ている限りではそうはならなそうですよね。物語というのは、ホント扱うテーマや葛藤が違うだけで、全部違う方向に行っちゃうんだな、と思います。(ちなみに、なつめはあのままでいい。彼女はあれが正しい姿で問題ないです。問題はカブさん・・・)

ま「こうであって欲しい」という願望は、すべては僕の葛藤でしかありませんけどね。

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