進撃の巨人〜ミカサ・アッカーマンというキャラの扱いについての雑感

進撃の巨人
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皆さん大好きな進撃の巨人が終了してしまいました(だいぶ前ですけどね)。

終わり方については、いろいろと論議あります。個人的にはとっても満足しています。しかそれは私の場合「ただ1点を除いて」という言い方になってしまうのが残念なところです。

今回はその”1点”であるミカサ・アッカーマンについての雑感。強烈にネタバレあるので、まだ未放映のアニメ版を順に見たい人はスルー推奨。

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ミカサというキャラクターの扱いと振る舞いについて

進撃の巨人におけるエレンの進撃は、ミカサ・アッカーマンによって止められて名実ともに終了しましたよね。

彼女はエレンの首をもちかえって、墓を立てるという終わり方をしますが──個人的にはあの終わり方だと彼女がどうも不憫でたまらないのです。

それ以上に──ミカサ・アッカーマンというキャラクターは、どうも作品の流れのせいで掘り下げられる事なく、物語に消費されたような気がしているのです。あっさりとした扱いに感じられてしまいました。

(C)諫山創・講談社/「進撃の巨人」製作委員会

振り返ってみれば、ミカサ・アッカーマンというキャラクターの登場は衝撃的なものでした。劇中の同世代の人物の中で、最も強いキャラクターにしてヒロインです。その強さは、劇中後半においては負傷したリヴァイを上回るものとなりました。過去の物語において、ここまで強い(腹筋が割れている)ヒロインキャラクターというのは中々いませんでしたよね。さらに、設定としてはエレン大好きキャラでした。

設定としては、彼女はそれが、自身の感情によるものなのか、アッカーマン家の血によるものなのか、ずっと不安を抱いていましたね。進撃の巨人の劇中世界の設定が明らかになるにつれて、それらの設定は上手くドラマをもり立ててくれました。

しかし、一方で成長した後のミカサ・アッカーマンは、物語初期よりもずっと不自由なものに見えました。彼女は、最後までその力や存在感を、いち兵士としてしか利用できませんでした。エレンの活動に対する術が、彼女にはそれしかなかったことが、ちょっと悲しいなと思うのです。

あまり成長させてもらえなかったミカサ

進撃の巨人という物語は、エレンとミカサとアルミンの成長の物語だと思うんですよね。で、エレンは見ての通り途上からイキリエレンになって、始祖の巨人ゴッコをして物語に決着をつけ、アルミンはコゲミンを経て超巨ミン化して生き残って、調査兵団団長になりました。

二人はそれぞれ、それなりの成長と変遷を経て結末にたどり着いています。

しかしミカサ・アッカーマンは?

彼女は、ずーっとエレンのみに執着し、一兵団の一兵士として物語を終えているんですよね。劇中最強の力を持ちながらも、彼女自身は、実は自分ではあまり判断をしていない。リヴァイの後をつぐこともなかった。彼女は、エレンというキャラクターのためだけに存在したようにも思える。それがもったいない。

彼女はフィジカルには優れますが、あまり物を考えません。それも失礼な話ですが──初期はそれでも良かったと思うんですよ。大人になって成長していればいい。そう思っていました。

ですが、マーレ編を経た後のミカサ・アッカーマンは、その後も知性の面ではあまり成長をしておらず、以前と変わらずエレンに執着した恋するフィジカルギフテッド女子でした。他の多くのキャラクターが、成長に伴って、各々判断しているというにもかかわらず、ミカサだけがずっとそのままでした。

それはたぶん、物語初期に「彼女がエレンにとどめを刺す」という呪縛を作者から付与されてしまったため、思うように羽ばたかせてもらえなかったからだと思うんですよね。そのせいで、彼女は本当に都合の良い扱いをされてしまったキャラクターに見られます。

ミカサはどうすべきだった?

個人的に思うのは、物語構成上、彼女がエレンのとどめを刺すにせよ、その途中はエレンという呪縛から一旦離れたってよかったと思うのです。移り気することもなく、気まぐれを見せることもなく、ずっと一人の男子に執着することは、人として不自然な描写だったと思っています。エレンに「お前は俺の何なのだ?」と、言われた際には、思い悩んだ末に「私の気持ちも知らないで」と、逆ギレしたって良かったと思うんですよね。そっちのほうがよっぽどリアリティがあります。

しかし、そういうことは最後まで起こりませんでした。

この、なぜミカサが全編とおして「恋に執着し恋に消費される女子」という枠組みに閉じ込められたのか、という点については、心当たりが無いわけでもありません。

なぜミカサは不自然に見える女子なのか?

思うに諫山創先生って、その若さゆえに「恋する女子」の心理を描くの下手なんじゃないかと思うのです。というか女性全般がそこまで得意ではないのかもしれません。

思えば、ヒストリアが身ごもる展開についても、客観で描写するのみで、内面は描いておりませんでした。

©諫山創・講談社/「進撃の巨人」製作委員会

サシャやアニ、ユミルそして、ハンジ等は──あれ実は女子ではありません。あれは男子(少年)のプラットフォームの上に、女性をかぶせている。だからこそののびのびとした魅力であった訳です。一般人ではなく、兵士であったこと。またメインのキャラではなかったことから、それは時に俗物的な部分を出すことが出来て、うまく機能しました。

で、よく見ると進撃の巨人においては、女性からの心情吐露を伴う恋の描写というのは、実はミカサ以外はほとんど描かれていないんです。そういうシチュエーションがあったとしても、徹底的に客観描写になっていました。

一方で、ミカサは恋をしなければいけない上に、主要キャラなので内面まで描いて見せなければいけません。しかし先生の恋愛方面の引き出しの少なさによって、ミカサはどうもスポイルされて薄っぺらい人格になったように思えるのです。

一番の問題点は「ピュア」すぎることですよね。

通常、人は恋をするとき「打算的」なんですよ。その打算というのは、実利の面では経済面や地位等になりますが、情緒面では自分に対しての「優しい」や「嬉しい」を独占したいという感情があります。恋愛というの、相手に対して資産やステータス面や心理面でのメリットとデメリットを比較するという状況が常について回ります。それに対して、打算のない純粋で一方的なピュアな想いというのは、思春期のいっときの幻想であり、生物学的にも不自然なものであり、ようするに嘘なんですよね。

実際には、恋の相手というのは、時に優しくない。エレンのように優しくないのです。つまり、ミカサとしては劇中途上で、優しくないエレンに対するリアクションとして、エレンを拒絶する展開だって存在しても良かった訳です。もちろん、血のせいで執着してしまうという設定があるのかもしれませんが、それにしたって、うら若き女子が、目の前から長年いなくなった男子を、命令されることもなく思い続けるというのは、不自然なことですよね。

原作者の価値観とIFの物語展開

そのように諸々を考えていくと、思うに原作者の諫山創先生というのは、どうやら「永遠につづくピュアな愛」的なものを信じてらっしゃったようで(あるいは母性と恋愛感情が分けて考えられなかった?)、それがミカサに投影された結果、彼女は不幸にも、ずっとエレンを思い続けるだけの、狭苦しいキャラになってしまった。

他の女子キャラが、その生死の選び方も含めて、本当にのびのびとしていただけに(主要キャラじゃないので、自由度があった)、それは際立って残念に感じられました。

彼女は、エレンにずっととらわれるのではなく、一度自らエレンの呪縛から開放された上で、敢えてエレンを選ぶ、という選択をすべきだった。兵団においても、リヴァイの後をついで、ジャンとは別に指揮官等をして苦労をすべきだった。というかジャンとの関係があっても良かったと思っている。あとジャンはミカサのために死ぬべきだった(笑)。その上で、ミカサはジャンにわびつつ、エレンのもとにかけつけてエレンを選ぶべきだった。そういうエレン以外の場所における、取り返しのない失敗を経験し成長させてみせるのが、良かったんじゃないかな、と思うのです。

進撃の巨人という物語の構造が秀逸だったがゆえに、その1点が残念に思えるのです。

以上、恋に消費されてしまったミカサ・アッカーマンの好き勝手な雑感でした。

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