呪術廻戦、めっちゃ面白いですね。
そんな、呪術廻戦を描いている原作者の芥見下々先生、どんな人か気になりますね。
今回は、芥見下々先生のプロフィールを交えつつ個人的に思う「ココがスゲエ」というポイントを挙げてみたいと思います。
若くしてデビューした芥見下々先生
さてこの芥見下々先生、デビューは2014年で「神代捜査」という作品で若干22歳でプロ活動を始めています。出身は岩手県。自画像はおなじみの単眼猫ですね。細かなプロフィールは他wikiなど参考としていただいて、よく知られたエピソードとしては、初期において女子キャラクターの足が太い騒動ですね。
読み切りが掲載された号に、担当編集者とのやりとりで「女の子足太い!」「太くない」「太ぇって!!」「太くねぇって!!」と言い争うエピソードが。顛末は兄の嫁の足が細かったので、以後描き方を改めたそうですが、女性でも体幹のがっしりしたキャラクターが多いのは今も変わらずですね。というか、あの足の太さって、わりと日本人の平均的な女子の体型・・・ゲフンゲフン。
好きな作品は、言わずもがなBLEACHそしてワールドトリガー、幽白等々。特に、セリフまわしや見栄の切り方はブリーチ見て取れますよね。
さて22歳でデビューした芥見下々先生ですが、その後幾つかの読み切ろうぇて、2017年呪術廻戦の前日譚となる「東京都立呪術高等専門学校」を発表します。この世界観がウケたことが、後に呪術廻戦につながる。なお、作中世界は同じであり主人公の乙骨憂太は留学中とのこと。
そして、満を持して連載を開始した呪術廻戦が2018年(26歳)です。若い。若杉でしょ。普通、26歳くらいなら、まだハナたらしてトンボおいかけてますよね!?(偏見)
他方芥見先生は、早熟であるにも関わらず、そのセリフ、画力、物語展開ともに、既にベテランの貫禄があります。何でしょうね、この熟練した感じ。
芥見下々先生のココがすごい!
さて、ココからはひたすら褒めていきます。
絵がうまい
わかりきった話ですが、画力が高い。パースにかかわらず、あらゆるキャラクターをしっかりと書き上げる絵の巧さがある。ワンピみたいなデフォルメ絵じゃなくて、写実的なキチッとした体型のキャラクターなので、画力の良し悪しがはっきりと出ると思うんですけど、なんでこんなに上手いの? と思えるくらい、破綻なくキャラクターを描いてくる。それどころか背景も、モンスターもすごいですよね。
加えて、構図的にもダイナミックなものがあり、余白の使い方もうまいし、書き込みもできる、見栄の切り方もブリーチ譲りの優れたところがある。構図のバリエーションでいうと、ゴールデンカムイとかのベテラン勢に匹敵するレベル。週刊誌なのでかなりラフに描いてますけど、書き込めばもっとすごいことになるんでしょーね。というか、天才ですよねこの人。
セリフがうまい
そして、僕が一番買っているのがナチュラルな台詞回しのうまさ。やり取りテンポの良さ。先生はブリーチに学んだと言っていますが、正直なところ、現代的で自然である、という点においては、ブリーチ以上だと思っています。ホントに何気ないセリフがうまいんですよね、芥見下々先生。これは日常的な言語センスと、物語センスが、若くして融合した結果なのかしら? 今のところ、彼に匹敵する、今っぽい会話が出来る漫画家さんはあんまり見たことがない。
思想がある
さて、最後にいいたいのは、それらをひっくるめてなお呪術廻戦が面白くて、他作品がら頭一つ出ている理由は何なのか──それを考えた結果がこちら「思想性」の有無です。
物語というのは、作者の考えがすべてで、作者が考えること以上のものというのは出てきません。つまり、アウトプットはすべて作者の得てきた知識とそれらを踏まえた世の中に対するモノの見方に依存している訳です。
なので、作家さんというのは、年を経ることでより思索を深め、高度で示唆に富んだ物語を生み出すことが出来る訳なんですが──まぁ、それに至る前にしても、まず思想がないとドラマが生まれないんです。考えがなければ、人物は行動しないし、感動が生み出せない。
そして芥見下々先生は、まだ若いのに主人公の虎杖悠仁に「人の役に立て」という、達観した思想を与えています。別の記事でも描きましたがこのセリフは亡き祖父のセリフですよね。そして、虎杖悠仁の行動を決める呪いでもあります。そういうキャラクターの行動動機を決める大事な「制約」というのは、チープすぎると物語自体が安っぽいものになってしまうんですが、虎杖悠仁のこの「人の役に立て」という縛りは、最上位のもので、とっても優れていて、もっというと、ヒーロー物の主人公がすべき行動のすべてを肯定するものだと思っています。
これが例えば「女の子を守りなさい」とか「悪を許すな」とかだったら、じゃあ女子以外はまもらないのか? とか、善悪は立場によって変わるけどどうするの? とかツッコミどころが出てきてしまう。思想的にはチープなんですよ、そういうのは。
物語というのは「原因」と「結果」で構成されているんですけど、視点を間違えると全部間違えるんですよ。女の子を守れ、悪を許すな、とだけじいちゃんから言われていたら、呪術廻戦ってどんな物語になります? そんなお題目だったら、ほんとに良くある話にしかならなかったと思うんですよね。
しかし呪術廻戦はそういう作品とは違う。つまり「人の役に立て」というスタートは、あらゆることを包括しつつ、さらに少年漫画を邪魔しない柔軟さをもちつつ、なおかつ深堀りも出来てしまう、とんでもなく良い視点なんですよね。主人公のギアスにこの言葉を選んだ芥見下々先生はちょっとすごいと思うんですよね。26歳であの言葉は出てこない。
転じて、劇中における「呪い」の定義も、思想的にレベルが高い。物語上の呪い──呪霊たちは、人類の負の感情から生まれたという設定ですよね。人に害をネガティブな存在はすべて呪いであると定義しているんです。そこには自然現象も含まれていて、キャラクター的には蝗害を象徴するバッタまで出てきます。ただ一方で、呪霊たちのキャラクターは人類にとって害があるというだけであって、必ずしも悪い存在ではないようにも描かれている。この、勧善懲悪でもないし、オール・オア・ナッシングでもない善悪や敵味方のキャラクター設定のバランス感覚は、世の中に対して客観的な考え方をしっかりと持っていないと出来ないと思うんですよね。
たとえばナウシカは、宮崎駿が人類は万物の霊長ではなく大きな宇宙の一部でしかないし、なんなら滅んだって構わない、というアブナイ思想でもって描いていますが、あれを描いたのは40代ですよ。しかし、芥見下々の呪霊や主人公の行動動機、またその他のキャラクター設定におけるバランス感覚は20代にして、そのレベルに匹敵している。
つまり先生、もちろん勉強されているとおもうんですけど、価値基準もふくめて、天才的なバランス感覚を持っていると思うんです。たとえば幽白の冨樫先生は、そこにいたるのに随分時間かかっていますよね。幽白の仙水編などは思想的にすぐれていますけど、あそこにたどり着くのに、冨樫先生は媒体の制約もあって時間がとってもかかっている。
ジャンプという紙面が一つの文化的な思想を継承するアーカイブ的な側面があったというのはあるでしょうが、それにしても令和のこの時点で、若干28歳で芥見下々先生がいるということは、ちょっと奇跡的ですよね(この話は鬼滅の刃にも通じるんですが、それはまた別で論じたいと思っています)。
思想性をもった作家が珠玉の作品を生み出す
つまりは、そういう部分もひっくるめて、芥見下々先生というのは本当に優れた作家だと思うんです。そして、引き続き呪術廻戦を楽しみたいと思いますが、彼がクリエイターとして油の乗った30代〜50代にかけて、何を生み出すのか? それについても、今から期待したいと思っています。